SunoPよこたん何故AI音楽に来た?人生55年の答(AI音楽ラジオ)

AI音楽ラジオのSunoPよこたんが、AI音楽に至る55年の人生を振り返った緊急ライブ配信。小学校の詩集と作文、テレビ禁止の家庭で聴いたFENの洋楽、ラジオのランキング予想、エアチェック、音だけでドラマを聴いて鍛えた妄想力、大学以降のレンタルCD収集とジャケ買い、同僚へ選曲CDを配った経験、2007年に掲げた「音楽コンサルタント」の肩書き。それらが2024年のSunoとの出会いとAIシンガーMilia誕生で一本に繋がった。楽器も歌も不得手でも経験は才能に変わると語る。
詳しくは15分の動画で解説しました。
https://www.youtube.com/watch?v=8yb7n_Co0Pc
0:00 🎙️ 導入・AI音楽ラジオ特別編の紹介 1:08 🌱 AI音楽は突然じゃない、55年の積み重ね 2:15 📻 ラジオとドラマを音だけで聴いた小学生時代 3:21 📊 中学生で始めた順位予想と音楽データ分析 4:29 💿 高校・大学の音楽収集沼とラージメロディモデル 5:36 ✨ ミリアを形づくった3人のアーティスト 6:48 🚗 営業車にCDチェンジャー、中古CD巡りの日々 7:53 🎁 選曲CD「ラリルレロ」5企画のプレゼント 9:01 ⛽ 自作CDがガソリンスタンドのBGMに 10:01 🏢 2007年起業と音楽コンサルタント協会の夢 11:12 🤖 Sunoとの出会いとミリア誕生、1日2曲1300曲 12:21 🔗 書く・聞く・集める・選ぶ・想像する・届けるが繋がった 13:27 🌸 あきらめた夢をAIでもう一度咲かせよう 14:33 👋 まとめと今後の発信・講座のお知らせ
SunoPよこたん何故AI音楽に来た?人生55年の答(AI音楽ラジオ)
先日に講和した万代倫理法人会の後で
朝食の席で話したことを元に曲を作成
イーンスパイアの横田です。
https://www.enspire.co.jp/

親の威厳どこへ消えた / Milia
https://www.youtube.com/watch?v=2xfndC4ibKo
論破される親なら
https://www.youtube.com/watch?v=_P1aNNT2ZOc
さて、本題です。
AI音楽ラジオLIVE配信でSunoPよこたん
AI音楽は突然じゃない!55年の積み重ね
のアーカイブ1時間をご覧ください。
https://www.youtube.com/watch?v=c1PvEjwojjk
ダイジェスト版15分も是非ご覧ください。

SunoPよこたん何故AI音楽に来た?人生55年の答(AI音楽ラジオ)
2024年に急にAI音楽を始めたのではなく、55年分が1本に繋がった。
書く聞く集める想像する届ける
▶ 楽器が弾けない/歌うのが得意じゃない/でも音楽を形にしたい、という人に向けた回。
小説や詩を書くのが好きで、自分で詩集を作っていた。猿のお尻が赤いのは木から落ちて尻もちをついたから、といった洒落た詩を書く少年だった。父はその詩集を「大人になったら1冊の本にしたらいい」と言ってくれていた。
その詩集は長く行方不明だったが、父が亡くなった後の遺品整理で、書斎の右袖・一番上の鍵付き引き出しから見つかり、手元に戻ってきた。
書いた紙を綴じて提出。厚みが目に見えるので、誰が多いかの競争になった。
1日2枚、3枚と増やし、最後は1日200〜300枚。「これが200枚目の作文です」という中身のないものまで書いた。
何も思い詰めずに片っ端から字にしてしまった結果、感性が枯渇したと両親は後日談として語っていた。この頃から国語が苦手になり、数学・理科の理系へ進むことになる。
家庭ではテレビが禁止で、音楽番組がほとんど見られなかった。音楽は母親が聞いているラジオから入ってきた。隣の山口県・岩国の米軍基地向けラジオ局FENでは英語放送の中で洋楽が大量に流れていた。
高校時代からビートルズが好きだった母の影響で、ビートルズ特集をはじめ、マイケル・ジャクソン、ボン・ジョヴィ、ビリー・ジョエル、ワムなどを聞いて育つ。土曜の音楽ランキング番組(午後1時から邦楽、2時から洋楽)でヒット曲を把握していた。
🔍 カセットプレイヤーも持っていないため、自分で音楽を聞く手段はまだない。流行は「親のラジオ経由」で入ってきた時代。
友達がレンタルレコードをカセットに録音してプレゼントしてくれ、ようやく自分のテープで邦楽を聞けるようになった。友達同士では歌番組のランキングを当て合うゲームが流行る。チェッカーズ、中森明菜らの曲が1位から10位までどう並ぶかを予測した。
予測精度を上げるため、技術家庭科の授業でAMラジオを自作。テレビは見られなくても、ラジオを聴く権利をここで手に入れた。お小遣いは人生で一度ももらったことがなく、自分のお金で物を買えるのは大学のアルバイトからだった。
1つ上の兄が誕生日に買ってもらったラジカセを、兄が帰宅するまでこっそり借りて聞く日々。これでAMだけでなくFMが聞けるようになった。
エアチェック=放送で流れる曲をチェックし、良い曲を録音する行為。録音ボタンを一時停止状態にして待機し、「次の曲は〇〇です」と言った瞬間に一時停止を外す。90分カセットにヒット曲を溜めていった。
1番しか流さない番組ではダメ。フルで流す番組を見つけ、そこでスタンバイした。
終盤で急にフェードアウトしてアナウンサーの声が入る録音はやり直し。
FMラジオにはテレビ音声チューナーが付いていた。映像は見られなくても、音だけでテレビドラマやベストテン・トップテンを聞けるようになった。学校の話題についていくためにも、ドラマを音だけで追った。
誰が誰に向かって喋っているかも分からない。会話のやり取り、「〇〇君」という呼びかけ、効果音や環境音を手がかりに、登場人物と場面を頭の中で組み立てる。
📌 原点は「書くこと」と「音だけで想像すること」。音と言葉から世界観を作る力は、小学校から高校の間に培われた。
友達同士でウォークマンの曲を薦め合い、ロックバンドを始める友人やライブチケットを売る姿を間近で見るようになる。広島ではUNICORN(奥田民生)の売れる前のチケットやPERSONZの話もあった。音楽は聞く側だけでなく、演奏する側の世界も身近になった。
レコード店の店頭で流れるBOØWYのライブ映像を食い入るように見た。友達に聞かせたらハマってしまい、当時BOØWYやブルーハーツは「不良が聴く音楽」というイメージだったため、その友人は不良の道へ進んでしまった。音楽で人生が変わることを実感した出来事。
高1で好きだった女の子が聴いていたことから尾崎豊を聞くようになり、「卒業」に強く影響を受けた。「支配からの卒業」「自由になりたかった」という言葉が、その後の人生を変えるきっかけになった。
模擬試験へ向かう時、センター試験や入試本番の前、夜中の勉強で眠くなった時。緊張をほぐすため、眠気を覚ますために音楽を使った。
受験勉強そのものを支えてくれた存在。
深夜の勉強中、眠気覚ましの助けになった。
大学入学で初めてアルバイトができ、自由に使えるお金を手にする。ここから音楽収集が一気に加速した。レンタルCD店のレンタルランキングをジャンル問わず1位から50位まで片っ端から借りて録音する生活が、18歳から30年ほど続く。
サブスクの登場でいつでも聞けるようになり、収集そのものは10年ほど前に終わった。演歌もアイドルもロックもポップスも関係なく、ヒット曲は全て聴くという習慣ができあがった。
聴き続けた膨大な歌詞が頭の中に蓄積。自分で詞を書く時に出てくる。
口ずさんだメロディをAI音楽に投げて曲にする時、記憶の中のメロディが組み合わさる。
大学3年から一人暮らしを始め、初めて自分のテレビを持つ。エアチェックは映像の録画へ。VHSが大量に残るが、今は再生機がなく見られない。
兄の縁で男性合唱団へ勧誘され入部。カラオケで上手く歌いたい動機もあったが上達せず。1〜2曲で声が枯れる体質だった。
母から譲り受けた車にCDチェンジャー、MDチェンジャー、ウーハー、リアスピーカー。ADDZEST(クラリオンの高級ブランド)で作り込んだ。
喉の弱さは小4の生徒会選挙で声を出しすぎ、当選した日の挨拶で声が出なかった経験から自覚していた。講演業を始めた2011年頃からカラオケを封印していたが、AI音楽を始めて音楽の話をする機会が増え、昨年末から再び歌うように。
高校時代のBOØWY、ブルーハーツ、UNICORNに続き、大学ではビーイング系(B’z、ZARD、WANDS、T-BOLAN、REV、FIELD OF VIEW)と、TM NETWORK・小室哲哉のTKサウンドを聴き込む。
優しさ、温かさ、包み込むような世界観。B.B.クィーンズのバックコーラスから独立したMi-Keのセンター。
凛とした美しさ、透明感、そして作詞家としての言葉の力。ポニーテールの見た目もここから。
力強さ、情熱、ドラマチックなサウンド。ヘヴィメタルへ回帰し現役で歌い続ける、今最も好きなアーティスト。
✏️ 大黒摩季、倉木麻衣も好きになり、倉木麻衣のビジュアル要素もMiliaに入っている。
好きだった女の子の影響で聴き始め、人生に最も影響を与えた。
母もファンになってくれた思い出。モテない男性キャラとしての詞の世界。
同じく、モテない男性の気持ちを描く世界観。
孤独、男性側の気持ち、片思いの恋愛。今自分で書いている歌詞は、この3人から強く影響を受けている。
🎸 ベースになった人たち:氷室京介/BUCK-TICK/BOØWY/L’Arc〜en〜Ciel/TM NETWORK・小室哲哉/B’z/X JAPAN/THE BLUE HEARTS/シャ乱Q・つんく♂
父の会社に入社し東京営業所の営業職へ。学生時代のカーオーディオとスピーカーを営業車に積み替え、全国を走りながら音楽を聴く日々が始まる。東京から青森まで約700km、7〜8時間走りっぱなしの移動もあった。
営業先で見つけた中古CDショップでは、「あ」から「わ」まで背表紙を1枚ずつ眺め、知らないアーティストを探す。ジャケット、レーベル、裏面のスペシャルサンクスを手がかりにジャケ買い。ヒット曲は網羅済みなので、ヒットしていない良いアーティストを探した。
🔍 今で言えばSpotifyのおすすめ機能を、人力でやっていたということ。
ビジュアル系インディーズにハマり、BUCK-TICK、X JAPAN、MALICE MIZER、DIR EN GREYと掘り進む。L’Arc〜en〜Cielの有名になる前のライブ会場配布CDを数万円で購入したことも。インターネット普及前は、中古CDショップから郵送される紙のリストを1行ずつ読んで注文していた。
初めて上司になり、部下や同僚とのコミュニケーションを音楽で取ろうと考えた。相手が聴いている音楽を教えてもらい、「それならこれを聴くといいよ」と薦める音楽ソムリエのようなことを始める。そして好みに合わせてオリジナル選曲したCDをプレゼントするようになった。
| シリーズ | コンセプト |
|---|---|
| ラッフィン | 笑えるような面白い曲を集めたもの |
| リッスン | みんなが好きそうな、聞いて欲しいヒット曲 |
| ルッキン | 注目している新しいアーティスト |
| レッスン | カラオケでみんなで覚えて一緒に歌う曲 |
| ロッキン | 自分が聴いているロックを普及させたい枠 |
💿 1枚74分・12〜13曲入り。10セット以上作って同僚に配った。最初は1つだったものが、どんどん増えていった。
同僚経由で人から人へ渡っていき、あるガソリンスタンドで自分の選曲CDがBGMで流れているのを知る。「選んだ曲を誰かが聴いてくれる」ことに手応えを感じ、DJやソムリエのような仕事を会社にできないかと父に相談したが、「そんな仕事ねえよ」と笑われた。
📌 今で言えばDJやプレイリスト作成者、つまりインフルエンサー。当時その言葉はまだなかった。
妻、義理の母、長男にも選曲CDをプレゼント。息子は成長するとリクエストを送ってくるようになり、そこにおすすめを加えて渡す親子間の音楽コミュニケーションが生まれた。
結婚して新潟へ。以降は仕事が忙しく強烈にハマったアーティストは2組ほど。和製ホラーのビジュアル系バンド己龍(曲名が全て日本語、和楽器を取り入れた和テイスト)と、女性5人組ロックバンドBAND-MAID。それぞれ知った年は、ほぼその曲しか聴かなかった年もあった。一方、若い頃に好きだった浜田麻里がヘヴィメタルに戻り再燃、今最も好きなアーティストとなり、その音楽性をMiliaに反映している。
2007年の起業時、ネットビジネスアナリスト・電脳アイデア泉人とは別に「音楽コンサルタント」という肩書きを作り、音楽コンサルタント協会の公式サイトまで立ち上げた。ミュージシャンのSNS活用セミナーや、企業が音楽を活用してサービスを作る方法など、音楽×ビジネスのコンサルティングを掲げたが、仕事はほとんど来なかった。
そしてここが大きな転換点。今までは誰かが作った曲を選んで届けていたが、自分で作って、その人にプレゼントできるようになった。
2026年2月にAI音楽ラジオを開始。ともみん@JAPAN(甲斐智美)さんと出会ったことで、AI音楽人生が大きく変わった。曲の作り方、詞の書き方、テーマ、世界観、楽曲への取り組み方、曲を作る時の視点を教わり、全て反映させていった。SunoPよこたんという名前に変えたのもこの時から。
小学校で詩や作文を書いた「書く」から始まり、音楽を「聞く」、聞くために「集める」、ランキングを予想する「分析する」、その中から「選ぶ」、音だけで情景を思い浮かべる「妄想する」、そして「形にして届ける」。この全てが、AIによって生み出せるようになった。
歌は上手ではないし、楽器も演奏できないし、音楽理論も一切分からない。それでもSunoの総再生回数ランキングで12位まで来ているのは、自分の中にあるものを形にして表現できているから。
まだ本物のミュージシャンが入ってきていないから、この位置にいられる。だからこそ今がチャンス。音楽が好きだったけれど学業を優先して断念した人、ミュージシャンを目指したけれど諦めた人、40代50代の人にもまだチャンスがある。
昔の全てが、今の1曲につながる。ここからもう一花咲かせましょう。経験は全て、あなたの曲になって返ってきます。
▶ 今後は提案や、学びたい人に教える講座もやっていく予定。YouTube・SNS・LINEで情報発信中。
SunoPよこたん何故AI音楽に来た?人生55年の答(AI音楽ラジオ)
- はじめに
- 「書く」と「聞く」の原点 ─ 詩集・作文・FEN・ランキング予想が育てた少年時代
- 「想像する」力が鍛えられた高校・大学時代 ─ エアチェック、BOØWY、そしてMiliaの原型
- 「集める」から「届ける」へ ─ 社会人時代に完成した音楽ソムリエという技術
- 55年分の伏線をSunoが回収した ─ Milia誕生とAI音楽ラジオ
- おわりに
- まとめ
- よくある質問(Q&A)
はじめに
AI音楽ラジオ、SunoPよこたんです。今日はちょっと緊急で、動画ライブ配信を行っております。いつもは決まった曜日、決まった時間に配信しているのですが、今日はどうしても撮っておきたい内容があって、思い立ったその日にカメラを回しました。テーマは「AI音楽は突然じゃない。SunoPよこたん、55年の積み重ね」です。
2024年に急にAI音楽を始めたように見えるかもしれません。でも実際は違うんですね。55年分が、たまたまこのタイミングで1本につながっただけなんです。キーワードは5つ、「書く」「聞く」「集める」「想像する」「届ける」。この5つが僕の原点にあります。
そして、この話をぜひ聞いていただきたいのはこういう方です。「楽器が弾けない」「歌うのが得意じゃない」「でも音楽を形にしたい」。こんな悩みを持っている方。実は僕自身がまさにそうなんです。歌は上手じゃない。楽器は演奏できない。音楽理論は一切分からない。それでも今、Sunoの総再生回数ランキングで12位まで来ています。
なぜそんなことが起きたのか。その答えは、僕が生まれてから今日までの55年間のどこかに全部埋まっていました。今日はそれを、記憶をたどりながらリアルタイムで掘り起こしていきます。かなり長くなりますが、時間の許す限りお付き合いいただければ嬉しいです。
【起】「書く」と「聞く」の原点 ─ 詩集・作文・FEN・ランキング予想が育てた少年時代
ステップ1-1:小学校低学年 ─ 詩集を作っていた少年
ではまず、随分と遡りますけれども、小学校の低学年の頃から話をしていきたいと思います。
実は僕、小学校の時に小説とか詩、ポエムですね、そういうものを書くことが好きだったんです。今の僕を知っている方からすると「え、そうなの?」と思われるかもしれません。ネットビジネスアナリストとして数字やデータの話ばかりしている人間が、子どもの頃に詩を書いていたなんて、あまり結びつかないですよね。でも本当なんです。
自分で詩集を作って、その中にいろんな思ったことを詩に書いたりしておりました。ノートに書くのではなくて、ちゃんと「詩集」という形にまとめていたんですね。
先日、その中の1篇を曲にしました。面白い詩を書いていまして、テーマは猿なんです。「猿のお尻が赤いのはなぜか」という詩です。猿も木から落ちるということわざがありますよね。猿は木登りが得意なはずなのに、それでも木から落ちてしまうことがある。で、落ちて尻もちをついたから、あんなにお尻が赤くなったんだ ─ そういう内容の詩なんですね。
洒落ていると思いませんか。ことわざと、猿の身体的な特徴と、因果関係のこじつけが一つになっている。自分で言うのもなんですが、なかなかいい感性をしているなと今でも思っています。そんな少年時代でした。
ステップ1-2:父が認めてくれた「感性」と、引き出しから出てきた詩集
うちの父親も、そう思ってくれていたらしいんですね。「すごく感性豊かだ。この内容の詩集は、大人になったらちゃんと1冊の本にして出したらいいんじゃないの」と言ってくれていました。子どもの僕は「あ、そうなの」と思っていた程度だったんですが。
ところが、その書いていた詩集が、いつの間にかなくなってしまって、ずっと見つからなかったんです。どこにいったんだろう、と思いながら何十年も経ちました。
この間、父が亡くなったんですが、その遺品整理をしていた時のことです。父親の書斎の机、両側に袖の引き出しがあるタイプの机だと思ってください。その右側の、つまり利き手である右手側の、一番上の引き出し。当然そこは鍵がかかっているところなんですけれども、その中にですね、僕の詩集が入っていることが見つかったんです。
そうして、あの詩集が僕の元に戻ってきました。今こうして手元にあります。これをいただいたわけですね。
父は何も言わずに、鍵のかかる引き出しの一番手に取りやすい場所に、息子の詩集をしまっておいてくれた。それだけ大事に思ってくれていたということなんだと思います。この話を今、公開の場でできるようになるまで、正直少し時間がかかりました。
ステップ1-3:小学4年生の作文事件 ─ 感性が枯渇した日
そのぐらい感性豊かな子どもだったらしいんですけれども、転機は小学校4年生の時に訪れます。
その年の担任の先生が、ちょっと変わった先生でして、生徒に作文を書かせることが大好きだったんですね。だいたいこのぐらいの大きさの紙を配って、そこに作文を書かせる。そして毎朝、書いた人が手を挙げて発表するということをやっていました。
発表された人も、されなかった人も、その紙を綴じていく。そして先生の机に提出する。先生がそれを見て、ハンコを押してくれたりする。そういう運用をしていたんです。
そうするとどうなるか。みんなが紙を綴じていくものだから、だんだんその紙の束に厚みが出てくるわけですよ。厚みが出てくると、これが自然と競争になるんですね。「誰々くんはこんなに高い」「私はまだこんなに低いよ」と。
で、この競争に、僕の負けず嫌いが働いてしまったんです。
考えました。1日1枚のペースで書いていたら、先を行っている人には追いつけない。だったら1日2枚、3枚書けばいい。そう思って書き始めたら止まらなくなって、最後の方はですね、たぶん1日200枚とか300枚とか書いていたと思うんですね。
もうそうなると本当にネタがないんですよ。「これが200枚目の作文です」とか、そんなどうでもいいような作文を書いていました。内容ではなく枚数を競う競技になってしまっていたわけです。
ステップ1-4:「すぐ字にしてしまう」ことの副作用
ところが、これには思わぬ副作用がありました。
世の中の全てのことを、何も思わないで ─ つまり頭の中で思い詰めることをしないで、すぐに形にして字に出してしまう。これを来る日も来る日もやり続けたことによって、感性というものが枯渇してしまったらしいんですね。
「この頃から、あの子はそういうのがなくなった」と、両親が後日談としてそんな話をしておりました。
実際、この頃から僕は国語が苦手になっていきます。そして逆に、数学とか理科という理系の方に進んでいくようになって、それが今につながっているわけなんですけれども。この時までは、文章を書いたりするのも、なかなかいいものを書いていたらしいんですね。というのが、この時期の思い出です。
ここは今の自分にとっても、非常に大きな教訓になっています。
ステップ1-5:1日2曲が感性を枯渇させないための対策
なぜ教訓になっているかというと、今の僕は1日2曲を作っているからです。
曲をいっぱい作ると、あの小学4年生の時と同じように、感性というものが枯渇するんじゃないか。僕はそれをずっと恐れています。作文200枚を書いて感性を失った人間が、今度は曲を大量生産しているわけですから、当然そのリスクは自覚しているわけです。
そのためにどういう対策をしているかということは、先日AI音楽ラジオの方で喋っていますので、ぜひそのコンテンツを見ていただきたいと思います。「今、僕が感性を磨くためにやっていること」という回がありますので、あわせてご覧いただければと思います。
これが、小学校4年生ぐらいの話です。
ステップ1-5-2:詩集が戻ってきたことの意味
もう少しだけ、あの詩集の話をさせてください。
僕はこの詩集を、長いあいだ「なくしたもの」だと思っていました。子どもの頃に書いたものですから、どこかの引っ越しで処分されたのだろうと。
それが、父の遺品整理で出てきた。しかも、鍵のかかる引き出しの、一番手前の、一番取り出しやすい場所から。
父は何も言いませんでした。「大人になったら本にしたらいい」と言ってくれたあの一言以外、この詩集について話題にすることはありませんでした。僕が失くしたと思っていることも、たぶん知っていたはずです。
でも、ずっと持っていてくれた。
僕が今、AI音楽で自分の人生を曲にしているのは、この出来事と無関係ではないと思っています。
というのも、僕がこの55年を振り返ろうと思ったきっかけの一つが、両親が亡くなったことだからです。3年ほど前に両親を見送って、初めて自分の人生をきちんと振り返った。その時に「自分を象徴する1曲は尾崎豊の『卒業』だ」と腑に落ちたし、その時に詩集が戻ってきた。
そして戻ってきた詩集の中の1篇を、僕は先日、実際に曲にしました。
50年近く前に少年が書いた詩が、AIという技術によって、音になって世に出た。
これほど「AIは過去を無駄にしない」ということを実感させる出来事は、ちょっと他にありません。
ステップ1-5-3:「書く」という行為が、僕の中でどう変質したか
もう一つ、整理しておきたいことがあります。
僕にとって「書く」という行為は、人生の中で何度も意味を変えてきました。
最初は、表現としての書くでした。小学校低学年の詩集がこれです。猿のお尻がなぜ赤いのかを考えて、言葉にする。楽しかったんですね。
次に、競争としての書くになりました。小学4年の作文です。枚数を競うために書く。ここで書くことは、質ではなく量の勝負になりました。そして感性が枯渇した。
そこから長く、僕は「書く人」ではなくなります。理系に進み、数字とデータの人間になりました。
ところが社会人になり、起業して、僕はまた書き始めるんですね。ブログです。今では6500日以上、毎日更新を続けています。これは、仕事としての書くです。
そして今、AI音楽で歌詞を書いています。これは、もう一度表現としての書くに戻ってきたということなんです。
一周したわけですね。
小学校低学年で猿の詩を書いていた少年に、55年かけて戻ってきた。ただし、途中で身につけた「量を出す力」も「データで考える力」も持ったまま戻ってきた。
これが今の僕です。
【表1】小学校時代に身についたもの・失ったもの
| 出来事 | 得たもの | 失ったもの | 今への影響 |
|---|---|---|---|
| 詩集づくり(低学年) | 言葉で世界を切り取る感覚、ことわざや現象を結びつける発想 | ─ | 作詞の原型。実際にこの詩が後年、曲になった |
| 父の評価 | 「書くこと」を肯定される経験 | ─ | 書き続けることへの自信 |
| 作文200〜300枚(4年生) | 圧倒的な量を書く実行力、負けず嫌いの発動 | 思い詰める時間、感性 | 1日2曲制作への警戒心と、感性を磨く習慣づくり |
| 国語から理系へ | データ・論理で物事を捉える視点 | 国語への得意意識 | アナリスト業への道 |
ステップ1-6:岩国基地のFENと、母から入ってきた洋楽
ここからは音楽の話に入っていきます。
この頃、母親が ─ 当時は広島県広島市に住んでいたんですけれども ─ 隣の山口県に岩国市という場所がありまして、ここにいわゆる米軍の基地があるんですね。その軍人さん向けのラジオ局として、FENというラジオ局がありました。
ここで流れている英語の放送の中で、当然のように洋楽の曲がたくさん流れているわけです。それをうちの母が聞いていたんですね。
そこでビートルズ特集みたいな番組があって、母はビートルズを高校時代から好きだったらしくて、よく聞いていました。その影響で、僕もビートルズを聞くようになります。そして当時で言えば、マイケル・ジャクソン、ボン・ジョヴィ、ビリー・ジョエル、ワム。こういったアーティストが出てきまして、この洋楽を母の影響で聞いていたというのが、小学生から中学生ぐらいまでの間のことですね。
ステップ1-7:テレビ禁止の家で、音楽はどこから入ってきたか
なぜラジオから音楽が入ってきたのか。理由は明確です。テレビというものが、我が家では禁止だったからです。
小さい時にテレビを見ることができなかったので、いわゆる音楽番組と言われているものをほとんど見られていないんですね。だから音楽を当時聞くということは、ほとんどありませんでした。
ただし例外がありました。土曜日に音楽ランキングの番組がありまして、ちょっと時間帯は忘れましたけれども、午後1時から邦楽があって、午後2時から洋楽だったと思うんですね。これを母親が聞いていたので、ヒット曲なんかはランキングで聞いたりはしていました。
ですけど、それ以外の曲というのは全然、自分では何も聞けない。例えばカセットプレイヤーとか、そういうものを何も持っていなかったので、聞く手段がなかったんですね。これが小学生の頃の話になります。
つまり、テレビが見られなかったので、流行はラジオから、しかも親が聞いているものから入ってきたということですね。この岩国基地のFENの中でビートルズなどの洋楽に触れたことが、今のきっかけになっています。
自分で選んで聞いたのではなく、環境に流れていたものが入ってきた。これは後で「自分で選んで集める」ようになる僕にとって、強烈な対比になる原体験でした。
【表2】少年時代の音楽インプット環境
| 項目 | 我が家の状況 | 結果として起きたこと |
|---|---|---|
| テレビ | 禁止 | 音楽番組をほぼ見ていない。流行の映像情報が入らない |
| ラジオ(FEN) | 母が聴取 | ビートルズなど洋楽が自然に耳に入る |
| 土曜のランキング番組 | 母が聴取(13時から邦楽・14時から洋楽) | ヒット曲は「順位」という形で頭に入る |
| カセットプレイヤー | 所有せず | 自分で好きな曲を聞く手段がない |
| お小遣い | なし | 音楽を買うという選択肢が存在しない |
ステップ1-8:中学1年生 ─ 友達がくれたカセットテープ
ここから中学生になります。
中学1年生の時に、仲のいい友達がいたんですね。当時はまだレコードの時代ですけれども、その友達がレンタルで借りてきた曲をカセットに録音して、僕にプレゼントしてくれるという、本当に優しい友達だったんです。
今となっては、その方に感謝したいなと思っています。あれがなかったら、僕の音楽人生はもっと後ろにずれていたはずです。
そういう人がいてくれたおかげで、邦楽を聞く ─ ちゃんと自分のカセットテープで聞ける ─ ようになったのが、この時からになります。
ステップ1-9:ランキング予想ゲーム ─ アナリストの原点
そうすると、面白いことが始まるんですね。
中学1年生の時の友達同士で、当時の歌番組のランキング ─ 今で言うザ・ベストテンとかザ・トップテンとかありましたけれども ─ その「今週の1位は誰なんだ」ということで、みんなが予想を始めるわけです。
「誰々さんじゃないの?」「いや、誰々くんじゃないの」とかですね。当時はチェッカーズとか中森明菜とかがいましたけれども、そういう予測をしていたわけですね。
そうすると自然と、1位から10位までを紙に書いて、どの曲が何位になるかというのをみんなで当て合うという、そういうゲームになっていきました。「何々くん、いくつ当たったよ」みたいなことをやっていたんですね。
ここで僕の負けず嫌いが、また発動します。
ステップ1-10:技術家庭科で自作したAMラジオという「情報インフラ」
予測の精度を高めるためには、情報が必要です。ところが我が家はテレビ禁止。情報源がない。
ここで大きな出来事がありました。中学1年生の時の技術家庭科の授業で、AMラジオを自作したんです。これによって「テレビは見られなくても、ラジオは聴く権利」をゲットしました。学校の授業で作ったものですから、親も文句が言えないわけですね。
これでようやく僕は、テレビはないけれど、自分で曲をラジオから聞くことができるようになったんです。
ここで改めてお伝えしておくと、僕は実はお小遣いというものを人生でもらったことがありません。なので自分のお金で物を買うということは、大学でアルバイトをするまではできないんですね。買えないわけです。
だからこそ、自作のAMラジオというのは、僕にとって唯一手に入れた情報インフラだったわけです。
ステップ1-11:複数ランキングを集計して総合評価をつける
このAMラジオを使って、何をしたか。
ラジオの中では、有線ランキングとか、オリコンランキングとか、ラジオのリクエストランキングとか、いろんなランキングが流れますよね。こういったものを片っ端からメモしていったんです。
そして、それらを突き合わせて総合評価をつけて、来週の順位を予測する。これを中学校1年生の時にやっていました。
この辺が今の仕事のきっかけになっているような気もするんですね。今アナリストの仕事をしていますけれども、この頃からそういうことが好きだったんじゃないかなというのを、今振り返ると思います。
そして、それが結構当たっていたんですね。
そんなことをやっていたのが中学生の時です。自分で曲を録音したりすることはできないので、その友達に借りてやっていたというのが、中1からの話になります。
ステップ1-12:これは「音楽データ分析」だった
改めて整理すると、これはいわゆる「音楽データ分析」であり、「ランキングを読む力」ですよね。
有線ランキング、オリコンランキング、ラジオのリスナーランキングなど、性質の違う複数のデータソースから独自に集計して順位を予測する。そしてその精度を高めていった。
これが今のアナリストの仕事であったり、あるいはマーケティングで「どういう音楽を作ったら聴かれるのか」という分析にも、今につながってきているかなと思っています。
音楽を感覚だけじゃなくてデータで読み解くという視点。いわゆる右脳じゃなくて左脳の部分ですね。これが育ったのが、この中学生ぐらいから始まったデータ分析かなと思っています。
AI音楽をやっている人の中には、感性だけで勝負している方もたくさんいらっしゃいます。それも素晴らしいことです。ただ僕の場合は、そこに中学1年生から積み上げた「順位を読む目」が乗っかっている。ここが一つの違いになっているのかもしれません。
【表3】右脳と左脳、それぞれが育った場所
| 側面 | 育った時期・出来事 | 具体的な中身 | 現在の活用 |
|---|---|---|---|
| 右脳(感性・想像) | 小学校低学年の詩集 | 言葉で情景を作る、こじつけの妙 | 作詞、テーマ設定、世界観づくり |
| 左脳(分析・論理) | 中学1年のランキング予想 | 複数ランキングの集計と総合評価、順位予測 | アナリスト業、AI音楽のデータ分析、伸びる企画の設計 |
| 両者の接続 | 小4以降の理系志向 | 感覚をデータで裏づける癖 | 「感性×分析」でAI音楽に臨む今のスタイル |
ステップ1-13:制約が、僕の「聞き方」を作った
ここで少し立ち止まって、この時期を振り返っておきたいと思います。
改めて並べてみると、僕の少年時代というのは「制約だらけ」だったんですね。
テレビが見られない。お小遣いがない。カセットプレイヤーを持っていない。自分で曲を買うことも借りることもできない。
普通に考えたら、音楽から一番遠い環境です。周りの友達は音楽番組を見て、レコードを買って、当たり前のように流行を追いかけている。その輪に入れない。
ところが、この制約があったからこそ、身についたものがあったんです。
まず、「一度聞いたものを大事にする」という姿勢です。いつでも聞けるわけじゃないから、耳に入ってきた1曲を、頭の中で何度も反芻するんですね。今の言葉で言えば、1回のインプットからの学習効率が異常に高い状態です。
次に、「情報を自分で取りに行く」という姿勢です。テレビがないから、ラジオで補う。ラジオを持っていないから、授業で自作する。友達から情報を得る。とにかく、与えられるのを待たずに、自分で取りに行くしかなかった。
そして、「順位というデータで世界を把握する」という姿勢です。曲そのものを全部聞くことはできない。でもランキングなら、名前と順位という形で全体像を把握できる。だから僕は、音楽を最初に「データ」として知ったんですね。
この3つは、今も全く変わっていません。AI音楽の世界でも、僕は新しい機能が出たら自分で取りに行きますし、ランキングやデータを見て全体像を把握しますし、一つひとつの曲を何度も聴き直します。
制約は、その時は苦しいものです。でも後から振り返ると、その制約が自分の「型」を作っていたということが、よくあるんですね。
ステップ1-14:「順位を当てる」ということの本当の意味
もう一つ、中学1年生のランキング予想について補足しておきたいことがあります。
このゲーム、単に「好きな曲が1位になるといいな」という予想ではありませんでした。僕がやっていたのは、複数の異なる指標を突き合わせて、総合順位を推定するという作業です。
当時、音楽の順位を示すデータにはいくつか種類がありました。有線放送のランキング。オリコンのランキング。ラジオのリクエストランキング。これらはそれぞれ、測っているものが違うんですね。
有線は店舗や街で流れた回数。オリコンはレコードの売上枚数。ラジオのリクエストは、リスナーがハガキを出したいと思った熱量。
つまり、「広く流れている曲」と「買われている曲」と「熱心に支持されている曲」は、必ずしも一致しないわけです。
僕はそれを、中学1年生の時に肌で理解していました。だから、複数のランキングをメモして、それぞれの数字に重みをつけて、総合評価を出していたんですね。そしてそれが結構当たった。
これは今、AI音楽をやる上でも全く同じです。再生回数が多い曲、いいねが多い曲、コメントが多い曲、最後まで聴かれた曲。これらは全部違う指標です。どれを見て、どう組み合わせて判断するか。その感覚は、40年以上前のあのゲームで身についたものなんですね。
ステップ1-15:起の章のまとめ ─ 少年時代に手に入れた3つの武器
この【起】の章で僕が手に入れたものを、3つに整理しておきます。
1つ目は、「書く」という習慣。詩集を作り、作文を大量に書いた経験は、良くも悪くも僕の中に「言葉を形にする」という回路を作りました。感性が枯渇したという副作用はありましたが、それも含めて今の教訓になっています。
2つ目は、「聞く」という受け身のインプット。テレビ禁止という環境の中、母が聞いていたFENの洋楽、土曜のランキング番組。自分で選んだわけではないものが、勝手に耳に入ってくる。この時期の僕は、音楽の完全な受信者でした。
3つ目は、「分析する」という視点。ランキングを予想するために、複数のデータを集めて総合評価を出す。これは、感性とは全く別の回路です。ここで左脳が育ちました。
この3つを持った少年が、次の章で「想像する」という4つ目の武器を手に入れます。そしてそれが、僕の作詞の核心になっていくんですね。
【承】「想像する」力が鍛えられた高校・大学時代 ─ エアチェック、BOØWY、そしてMiliaの原型
ステップ2-1:兄のラジカセを、いない間にこっそり借りる
高校生になると、状況が少し変わってきます。
僕には1つ上に兄がいるんですけれども、その兄がラジカセというものを誕生日か何かのプレゼントで買ってもらったんですね。
で、それを借りる。借りるというか、正確に言うと、うちの兄貴がいない時にこっそり借りて聞いていました。兄貴が家に戻ってくるまでしか僕は使えない。だから帰ってくるまでの時間だけ借りていた、という感じですね。
今思えばずいぶん切実な話ですが、当時の僕にとっては、その数時間が音楽との貴重な接点だったわけです。
ステップ2-2:FMラジオという新しい世界
そのラジカセを手に入れた ─ 正確には兄が買ってもらった ─ ことによって、今度はAMだけじゃなくてFMラジオというものを聞くことができるようになりました。
AMとFMでは音質が全く違います。音楽を聴く上で、これは決定的な差でした。
そしてここから、僕の音楽人生における非常に重要な習慣が始まります。
ステップ2-3:エアチェックという技術
当時、「エアチェック」という言葉がありました。今の人たちには分からないと思うんですけれども、放送の中で流れていく曲をチェックして、いい曲があったら録音するというものです。
やり方はこうです。いわゆるカセットテープの録音ボタンを押して、一時停止を押した状態にして、ずっと待機しているんですね。指をボタンの上に置いたまま、じっと待つ。
そして「次の曲は何々です」とDJが言った瞬間に、この一時停止を外して録音を開始する。これをやるわけです。
そうやって90分のカセットに、当時のヒット曲をどんどん残していくというのをやっていました。
ステップ2-4:エアチェックのノウハウ ─ 「フル尺で流す番組」を探す
この辺も話すと長いんですけれども、エアチェックには奥深いノウハウがありました。
例えば、1曲をフルで流す番組と、1番だけしか流さない番組があるじゃないですか。1番だけの番組で録音しても、当然それはコレクションとしてダメなんですね。
なので、ちゃんとフルで流してくれるような番組を見つけて、その番組のところでちゃんとスタンバイして録音する、ということをやっていました。番組ごとに「あの番組はフル尺」「あの番組はサビだけ」と把握しておくわけです。
さらに厄介なのは、いい感じで録れているのに、最後の方になって急にフェードアウトしていって、なんかアナウンサーの声が入ったりするんですね。
だから「お前の声いらねえんだよ」と思いながら、ちゃんとフルのやつを集めていくということをやっていました。
これで、当時はお小遣いがなかったけれど、カセットテープに録音していくということを始めたんですね。中学生から、この高校生になった時のことになります。
ステップ2-5:FMラジオのテレビ音声チューナー ─ 音だけでドラマを見る
今度は高校生になった時に、これは自分でもよく覚えていないんですけれども、AMラジオから今度はFMラジオですね、これを買うことに成功したんです。
このFMラジオのいいところというのは、当然AMよりも音がいいというのもあるんですけれども、それ以上に大きかったのが、テレビの音声チューナーがついていたことなんです。
これによって、当時のテレビドラマを音だけで聞くということが可能になったんですね。
テレビを見られなかった僕としては、映像は見られないけれど、音だけでもテレビが聞ける。それこそザ・ベストテンとかザ・トップテンみたいな番組を聞くことができたんです。
音楽番組であれば、そのパフォーマンスが見られないのは残念だけれども、音楽そのものであれば別に問題ないと思うんですね。曲は音ですから。
だけどやっぱり、学校の話題についていこうとすると、テレビドラマを見られないというのはちょっと痛いわけですよ。翌日みんながドラマの話をしているのに、自分だけ入れない。
なので、このFMラジオでテレビドラマを聞いていました。
ステップ2-6:妄想力が鍛えられた3年間 ─ ぜひやってみてほしいトレーニング
これね、ぜひ皆さんもやっていただきたいんです。
テレビドラマの映像を切って、イヤホンをつけて、音だけでドラマを見てほしいんですね。
やってみると分かりますが、全く何をやっているか分からないです。誰が何を喋っているかが分からない。誰から誰に向けて喋っているかも分からない。
だけど、それを補いながら見るんですね。2人の会話のやり取りとか、あとは「誰々くん」と名前を呼んでいるので、「あ、これが誰々くんなのかな」とかですね。そして周りの効果音とか環境音とか、こういったものを聞きながら、登場人物や場面を想像していたんです。
つまり、テレビドラマというのは映像と音声の2つがあるわけですけれども、このうちの音声 ─ 言ってみれば文字情報だけが頭に入ってくる状態で、映像を自分でイメージしなきゃいけないわけですよね。
これによってですね、僕は妄想力というものが相当に鍛えられたと思っているんです。
そしてこれは、今の僕が歌詞から映像を思い浮かべて曲を作る時の原点になっていると思っています。
ぜひ皆さん、鍛えられるのでやってみられたらいいと思います。すごく勉強になるし、自分の中で言葉を使ってどうやったらイメージ化させるかということのヒントになると思うので、本当におすすめします。
これは高校生の時の3年間ぐらいやっていました。大学3年生になると今度は一人暮らしを始めて、自分のテレビを持つことができるんですけれども、まだ高校生ではできないんですね、という話があります。
ステップ2-7:原点は「書くこと」と「音だけで想像すること」
ここまでをまとめると、僕の原点は「書くこと」と「音だけで想像すること」なんですね。
音があればどこへでも行けた。音だけでこんな世界が見えるということで、歌詞から情景を膨らませる妄想力、音と言葉から世界観を作る力。これは、この小学校から高校生の間に培われたものじゃないかなと思っています。
AI音楽を作る時、僕は歌詞を書きながら常に映像を見ています。この人物はどこに立っていて、季節はいつで、光はどっちから差していて、その時何の音が鳴っているのか。これを全部「音だけのドラマ」を聞いていた時と同じ回路で組み立てているんですね。
【表4】「音だけで想像する」トレーニングの中身
| 与えられる情報 | 想像で補う情報 | 鍛えられる力 | AI音楽での使いどころ |
|---|---|---|---|
| セリフ | 誰が誰に話しているか | 人物関係の推定力 | 歌詞の語り手と相手の設計 |
| 効果音・環境音 | 場所・季節・天候 | 場面設定力 | 情景描写、具体的な小道具の選定 |
| 間(ま)・声色 | 感情の起伏 | 感情曲線の読み取り | 曲構成、盛り上がりの配置 |
| 音楽(BGM) | 物語の温度感 | ジャンル感覚 | スタイル指定、サウンドの方向づけ |
ステップ2-8:高校でのBOØWYとの出会い
今度、高校生になった時に、友達同士で ─ 当時はまだウォークマンでしたけれども ─ 音楽をおすすめして聞き合うという機会が増えてくるんですね。
そうすると、友人がいわゆるロックバンドを始めたりして、ライブチケットを売っている姿を見たりしていました。
当時、僕は広島に住んでいたんですけれども、広島といえばUNICORNという、奥田民生さんの有名なバンドがありましたよね。そのUNICORNさんの、まだ売れていない時のチケットとかを「買ってくれ」みたいな話があったり、PERSONZとかもありましたね。そういう光景を思い浮かべます。
これで、音楽は聞く側だけでなくて、演奏する側の世界も身近になったんですね。自分のお友達が文化祭とかで歌っている姿を見て、自分もその歌っている側の友達がいるということで、やっぱり聞くのとは全然違うなと思ったりしたのが、この高校1年生になってからです。
ステップ2-9:レコード店の店頭で食い入るように見たライブ映像
この頃、ちょうどBOØWYが出てきました。
その音楽とライブ映像から、大きな衝撃を受けましたね。
当時は自分の家にビデオデッキもないし、当然そういうものをテレビでも見られないわけなんですけれども、いわゆるレコード店に行きますと、店頭でミュージックビデオが流れているんですね。
ここでBOØWYのライブ映像が流れていて、これを食い入るように見ていました。お店の中で立ち止まって、画面を見続けていたわけです。
もう本当に好きで、BOØWYばっかりを聞いていました。
ステップ2-10:音楽が人の人生を変えるということ
そうしていたら、友達が「お前、何を聞いてるんだ」と言うので、「BOØWYを聞いてるんだ」と答えたところですね、「じゃあ俺にも聞かせてくれ」というので聞かせたんですね。
そうしたら、その友達もはまってしまったんです。
ここからが問題でして、当時はBOØWYとかブルーハーツとかもそうですけれども、こういう音楽を聞く人というのは「不良」っていうイメージだったんですね。不良が聴いてる音楽、というイメージだったんですよ。
今みたいにロックバンドを普通の人が聞いているんじゃないんですよ、当時はね。
なので、それをきっかけに、その友達は不良の道に進んでしまうことになってしまって、今となってはちょっと後悔しているんですが。まあ、そんな友達とも今も仲良くさせてもらっているんですけれども。
ということで、音楽を通して人生が変わるんだ、自分の将来が変わるんだということを、この時に感じたりしました。
ちなみに、先ほど紹介した文化祭で歌っていたボーカルの男性は、その後そっちの道に行くのかなと思っていたんだけど、残念ながらそっちの道には行かなかったんですけれども。
そういう、音楽というものから1つの人生というか、ドラマが始まるんだということを感じ始めたのが、この高校生の時でしたね。
ステップ2-11:クリスマスイブの解散ライブ、チケットが取れなかった夜
高校1年生の時に、BOØWYの解散というのがクリスマスイブにあるということがありました。
このライブを見たいと思って、当時ですね、電話からチケットの申し込みをするということに挑戦したんです。
これ、一瞬で売り切れたという有名なエピソードがありますけれども、まさにその通りで、全然ダメで取れなくてですね。
ライブに行くんだったらBOØWYに行きたかった。でもBOØWYが、人生初のライブに行けなかったものだから、結局、自分の人生初のライブはやっぱりBOØWYの氷室京介か布袋寅泰にしたいなと思って決めました。
そして、ソロになった氷室京介のライブ ─ これが引退ラストライブなんですけれども ─ これが僕が初めて行ったライブになります。
さらに、人生で初めて自分のお金で購入したCDも、氷室京介の「CRIME OF LOVE」という曲になるんですね。
ということで、僕の人生はこの氷室京介というものですね。「氷室京介から卒業できない」って有名な言葉がありますけれども、未だに卒業できていないというものが、ここから始まっています。
ステップ2-12:好きな女の子が聞いていた尾崎豊「卒業」
この高校1年生の時に、好きだった女の子がいまして、その子が尾崎豊を聞いていたんですね。
で、尾崎豊ってどんな曲を歌っているんだろうと思って、自分も聞くようになりました。動機は完全に不純なんですけれども、結果として、これが僕の人生を変えることになります。
その中で、尾崎豊の「卒業」という曲に非常に影響を受けました。
その中に「支配からの卒業」という言葉と、「自由になりたかった」という言葉があります。この言葉は、その後の僕の人生を大きく変えるきっかけとなった曲だと思っています。
テレビ禁止、お小遣いなし、という環境で育った少年が、この言葉に出会ったわけです。刺さらないわけがないんですね。
僕の人生の中で「1つだけあなたを象徴する曲は?」と聞かれたら、僕は尾崎豊の「卒業」ということを、今なら言えます。
これに気づいたのは3年ぐらい前ですね。両親が亡くなった時に、初めて自分の人生を振り返った時に、間違いないなと思ったんですけれども。この影響を相当受けて、今があります。
ステップ2-13:大学受験期 ─ BUCK-TICKとUP-BEATが支えてくれた
高校3年生ぐらいになると、大学受験が始まってきます。
そうすると、音楽が精神的な支えになってくるんですね。
例えば、受験勉強をする時。夜中、眠い時に勉強する時。模擬試験を受けに行く時。大学入試センター試験を受ける時。入試本番。その向かう前にお気に入りの曲を聞いて緊張をほぐす。もしくは、夜中の勉強で眠くなった時には激しい曲を聞いて眠気覚ましに使う。
そういう時に聞いていたのが、BUCK-TICKとUP-BEATという2つのバンドなんですね。もちろんBOØWYも聞いていたんですけれども。
この頃、BUCK-TICKは相当に聞きました。僕はBUCK-TICKさんのおかげで、僕のいわゆる受験勉強は助かったと思っております。
そしてUP-BEATさんは、本当に僕の深夜に勉強している時の助けになったと、眠気覚ましに助かったと思っています。
音楽が、僕のいわゆる受験勉強に大きく影響を与えたと思っております。
【表5】シーン別・高校時代の「使う音楽」
| シーン | 目的 | 聴いていたもの |
|---|---|---|
| 模試・センター試験・入試本番の直前 | 緊張をほぐす | お気に入りの曲 |
| 深夜の勉強中 | 眠気覚まし | UP-BEAT |
| 受験期全体のメンタル維持 | 気持ちを立て直す | BUCK-TICK |
| 日常のベース | 世界観への没入 | BOØWY |
この「シーンごとに音楽を使い分ける」という発想が、後の「その人に合わせて選曲したCDを作る」という行動につながっていきます。自分に対して選曲していたことを、後年は他人に対してやるようになった、というわけですね。
ステップ2-14:大学入学、初めてのアルバイト、そして音楽収集の加速
ようやくこれで大学に入学するわけなんですね。
そして初めてアルバイトができるようになりまして、これで自分で自由に使えるお金を手にすることができるようになりました。
高校まではお小遣いがなかったので、CDを購入したりレンタルしたりして録音するということはできなかったんですけれども、ここから一気に音楽収集が加速します。大学1年生からなんですね。
言い換えると、18歳になるまでの僕は「聞きたくても聞けない人」だったわけです。その反動が、ここから何十年も続くことになります。
ステップ2-15:レンタルランキング1位から50位まで全部借りる生活
レンタルCD店に行きますと、いわゆるレンタルランキングのベスト30とかベスト50みたいなコーナーが並んでいると思うんですね。
あれを、ジャンルを問わず、片っ端から1位から50位まで借りて録音する、という生活がここから始まります。
「気に入ったものを借りる」ではありません。「全部借りる」なんです。ここが重要なポイントです。
なので大学生ですから、18歳からですね、かれこれ30年ぐらいこの生活をしていました。
詳しく話しますけれども、だからその時からの曲は全部持っています。全部ある。
ステップ2-16:カセット → MD → iTunes → サブスク、メディア変遷の全部を経験した
最初はカセットですね。カセットに録音することが始まりました。
そして今度はミニディスク(MD)が出てきた。大学の時にはもうミニディスクに録音していましたね。なのでカセットテープはここまでです。
その後は今度はiTunesが出たことによって、ダウンロードして音楽を買うというものが始まりました。
と言っていたら、今度はサブスクになっちゃったんですよね、時代が。
音楽をコレクションしなくてもいつでも聞けるようになってしまったので、収集というものはここで終わっていくんですけれども。
なので、10年ぐらい前までは、レンタルCD屋さんにいて、借りるという生活ですね。だから僕、今のような、今の会社を作ってからもその生活をしていましたから、10年ぐらい前まではやっていましたね。
【表6】音楽メディアの変遷と、僕の行動の変化
| 時期 | 主なメディア | やっていたこと | 制約 |
|---|---|---|---|
| 小学〜中学 | ラジオ(AM) | 聞く・ランキングをメモする | 録音手段がない、お小遣いなし |
| 高校 | ラジオ(FM)+カセット | エアチェックで90分テープに録音 | 兄のラジカセを借りる、フル尺番組探し |
| 大学〜社会人初期 | レンタルCD+カセット/MD | ランキング1〜50位を全部借りて録音 | アルバイト代・給料の範囲 |
| 社会人中期 | CD購入・中古CD | ジャケ買い、レーベル買い、インディーズ発掘 | 月10万円規模の出費 |
| 2000年代 | iTunes(ダウンロード購入) | 買って手元に置く | ─ |
| 2010年代半ば以降 | 音楽サブスク | 収集の必要がなくなり、コレクションを終了 | ─ |
ステップ2-17:ジャンルを問わず全部聴くという習慣が生んだもの
だからもう、演歌だろうが、アイドルだろうが、ロックだろうが、ポップスだろうが関係なく、ヒット曲は全て聞くという習慣ができたと。
そしてこの何十年間、それをやり続けたので、いわゆるいろんな歌詞とか、いろんなメロディーというのが、頭の中に記憶として残っているのがいっぱいありますよね。
これがものすごく大事なところなんです。
ステップ2-18:自分の中の「ラージランゲージモデル」と「ラージメロディモデル」
歌詞の方は、ラージランゲージモデルです。自分自身のラージランゲージモデルですね。
いろんな歌詞を書いたりする時に、今まで聴いてきた曲の歌詞が出てくると思っているんですね。何十年分の歌詞が、僕という個体の中に学習データとして蓄積されている。
そして最近では自分で曲を作るんですけれども、メロディをですね、口ずさんで、それをAI音楽に投げて曲にしているんですけれども、この時はラージメロディモデルですね。
メロディのものもたくさん頭の中に入っているから、それを組み合わせて曲を出しているんじゃないかなと思うんですよね。
こういうのはですね、この膨大な自分のバックボーンがあって、これを自分の今のAI音楽に生かしているからできるんであって、これはなかなか真似することができない。
そして、そのAI音楽にそれができるかと言うと、これはできないんですね。オリジナルが作れないんですね。
ここはやっぱり財産かなと思っていますね。
つまり「聞く」から「掘る」へ、音楽収集の沼ですね。カセットからMD、そしてCD、iTunesへと媒体は変わるけれども、この収集癖はずっと続いていて、ヒットしている音楽をとにかく全部聴くという膨大なインプットが、AIで音楽を作る時の引き出しになったんじゃないかなと思っています。
ステップ2-18-2:なぜ「好きな曲だけ」ではなく「全部」を借りたのか
ここで、よく聞かれることにお答えしておきます。
「なぜ好きな曲だけ借りなかったんですか?」ということです。
理由は2つあります。
1つ目は、単純に「好きな曲がまだ分からなかった」からです。18歳まで、僕は音楽をほとんど自由に聞けていません。だから「自分が何を好きなのか」を確かめる材料が、圧倒的に足りなかったんですね。好きな曲だけを選ぼうにも、選ぶ母集団を持っていなかった。
だったら全部聞くしかない。そういう単純な結論です。
2つ目は、これは中学時代のランキング予想の延長なんですが、**「売れている曲には理由がある」**という確信があったからです。
自分の好みに合わなくても、それが1位を取っているなら、何かが多くの人に刺さっているということです。その「何か」を知りたい。演歌が1位ならなぜ演歌なのか。アイドルが1位ならなぜアイドルなのか。
だからジャンルを問わず、1位から50位まで全部借りたわけです。
この習慣が、結果的にとんでもない資産になりました。
僕は演歌の歌い回しも、アイドルソングの構成も、ロックのリフも、ポップスのコード進行の気持ちよさも、全部一通り体で知っています。だから今、Sunoでどんなジャンルを指定しても、「あ、こういう感じね」という当たりがつくんですね。
もし僕が「ロックだけ」を聞いてきていたら、たぶん今、ロックの曲しか作れなかったと思います。ボサノバもアカペラも歌謡曲もヘヴィメタも作れるのは、あの「全部借りる」生活があったからです。
好き嫌いで選ばなかったことが、結果として一番大きな武器になった。これは今でも、自分の判断の中でかなり上位に来る「やっておいてよかったこと」です。
ステップ2-18-3:30年間続いた習慣の重み
そしてこの生活を、18歳から約30年間続けています。
30年です。
途中で会社を作っても続けていました。10年ほど前まで、つまり40代半ばまで、レンタルCD屋さんに通って借り続けていたんですね。
サブスクが登場して、コレクションする必要がなくなったことで、この習慣は終わります。でも終わった時にはもう、僕の中に30年分の蓄積が残っていました。
こういう話をすると「今から始めても間に合わない」と思われる方がいるかもしれません。でも、そうではないと思います。
僕の30年は、たまたま「CDをレンタルして録音する」という形を取っただけです。今の時代なら、サブスクで毎日プレイリストを掘るという形になるでしょうし、SNSで新しいアーティストを追いかけるという形かもしれません。
大事なのは形ではなく、**「幅広く、大量に、継続して浴びる」**という原則の方です。そしてこれは、今日から始められます。
ステップ2-19:大学3年生 ─ 自分のテレビを手に入れ、ミュージックビデオの録画を始める
ずっと自分のヒット曲を保存していくということを始めているわけですけれども、大学3年生から一人暮らしを始めまして、その時からは今度、自分のテレビというものを初めてゲットするわけですね。
テレビ禁止の家で育った少年が、ついに自分のテレビを手に入れたわけです。
そして、自分のテレビで今度何をやったかというと、ミュージックビデオと言われているものの録画を始めました。
なのでこれも、エアチェックの、あのラジオ時代から変わりまして、今度はミュージックビデオの録画。そして、自分が好きなアーティストがテレビの音楽番組に出演したりすると、それを録画するというコレクションが始まりまして。
これもめちゃくちゃたくさんあるんですけれども。だからVHSのテープもたくさんあるんですけれども、これを始めたりもしております。
やっていることの構造は、ラジオ時代と全く同じなんですね。媒体が音から映像になっただけで、「待ち構えて、録って、貯める」という行動は一貫しています。
ステップ2-20:兄の縁でグリークラブ(男性合唱団)へ
大学に入学するわけなんですけれども、そうすると、1学年上の兄が同じ大学 ─ 広島大学に在籍しておりました。
そんな兄が所属していた男性合唱団に「グリークラブ」というのがありまして、そうするとそこの先輩方が、「弟が同じ大学に入学した」ということを知るわけですね。
そして勧誘を受けます。それでいやいや、僕はその男性合唱団の方に入部するということになるわけなんですけれども。
僕はあまり合唱には興味がなくて、しかも男だけが歌うって、ちょっとなんかキモいなと思っていたんですね。
今で言えば、いろんなアカペラのグループとかあるじゃないですか。ゴスペラーズとかあるんだけど、そういうものがまだ世に出る前なので、「男だけで?」と思っていたりしたんです。まあ、アカペラとはちょっと違うんですけどね。
ステップ2-21:カラオケが上手くなりたくて、でも上手くならなかった
でも、カラオケというものも高校時代に僕は1回も行ったことがなくて、大学に入ってカラオケに行くんですけれども、その時にやっぱり歌う時に上手に歌いたいなと思うわけですね。
なので「せっかくこういう合唱に入っているから、歌が上手になるためにもいいんじゃないかな」と自分に言い聞かせていたんです。
だけど、なかなかそうならなくてですね。うまくならなかったというのが、当時の思い出になりますね。
ステップ2-22:喉が弱い ─ 小学4年生の生徒会選挙で声が出なくなった話
僕はもともとですね、喉があんまり強くなくて、カラオケでも1〜2曲歌うだけで、もう声が枯れちゃうんですね。
だから全然その発声がちゃんとできていないんですよ。ちゃんと部活で習っていないからね。できていないんですよ。いわゆる腹式呼吸でとか、そういうこともちゃんと多分できていないと思うんですね。
これには前史があります。小学校4年生の時に、いわゆる生徒会の選挙活動をしたことがあるんですけれども、この時に「よろしくお願いします」というのをやっていると、声を出し過ぎてしまって。
その選挙には受かったんですけれども、受かった日にみんなの前で挨拶をしなきゃいけないのに、声が出ないという経験があるんです。
せっかく当選したのに、当選の挨拶ができない。これはかなりショックな出来事でした。昔から喉が弱かったというのは、自分でも自覚しているんですね。
ステップ2-23:2011年、カラオケを封印した理由
なので、カラオケに行っても声が出なくなるんですよね、すぐね。
で、僕は今、講演の仕事をしていますから、カラオケに行って翌日声が出なくなると、さすがに自分の仕事において影響を与えるわけです。
僕はこの講演の生活を2011年ぐらいから始めているんですけれども、ここからカラオケは封印したんです。
だから僕のカラオケを聞いたことがある人はほとんどいないと思うんですけれども。歌わない、という風に決めていたんですね。
ステップ2-24:15年の講演生活で、喉が鍛えられていた
ところが最近ですね、このAI音楽を始めて、音楽の話をする機会が増えたので、カラオケでね、最近歌う機会が、去年の暮れからようやく出てきたんです。
ところがね、びっくりなのは、歌っても声が枯れなくなったんですね。
さすがにこの15年間、講演生活で毎日2時間3時間、人前で喋るということを訓練していることによって、喉が鍛えられた。発声も多分上手になったんでしょうかね。声が枯れなくなりましてですね。カラオケで歌ってもね。
枯れはしますけれども、声が出なくなるとか、カラオケ中にもう全然ガラガラになっていく、というのは今はなくなったので、発声も良くなったんじゃないかなと思っています。
あとは、このライブ配信もずっと2010年ぐらいからやっているので、これも大きかったんじゃないかなと思っているんですけれども。
ということでですね、カラオケは1回マイクを持つと離さない、という生活を大学時代にはやっていました、というものなんですね。
これも面白い話で、音楽のためにやっていない訓練が、結果として音楽のための身体を作っていたわけです。回り道がそのまま実力になっていた。この構図は、この記事全体を貫くテーマでもあります。
ステップ2-24-2:「歌えない」ということと、どう付き合ってきたか
ここは、僕の人生の中でもかなり長く続いた悩みなので、もう少し丁寧に書いておきたいと思います。
整理すると、僕の「歌」に関する歴史はこうなります。
小学4年生、生徒会選挙で声を出し過ぎて、当選の挨拶ができなかった。この時点で「自分は喉が弱い」という自覚を持ちます。
大学で男性合唱団グリークラブに入部。カラオケが上手くなりたいという不純な動機でしたが、結局上手くなりませんでした。腹式呼吸も、正しい発声も、ちゃんと身につかなかったんですね。
カラオケに行けば1〜2曲で声が枯れる。周りが盛り上がっている中、自分だけ歌えなくなる。
そして2011年頃、講演の仕事が本格化すると、カラオケそのものを封印します。翌日の仕事に影響が出るからです。ここから十数年、僕のカラオケを聞いたことがある人はほとんどいません。
つまり僕は、これだけ音楽が好きで、これだけ音楽に投資してきて、それでも「歌う側」には一度も立てなかった人間なんです。
高校時代、文化祭で歌う友達を見ていた側。ライブで演奏する友達のチケットを買う側。選曲したCDを渡す側。ずっと、届ける側であって、鳴らす側ではなかった。
これはずっと、心のどこかに引っかかっていたことだと思います。
だからこそ、Miliaの声に出会った瞬間の衝撃が大きかったんだと思うんですね。
自分の中にある歌詞とメロディを、自分では歌えない。でも、この声なら歌ってくれる。
AI音楽というのは、僕にとって「歌えない人間が、ようやく歌えるようになった技術」なんです。技術的に便利だから使っているのではありません。40年以上できなかったことが、できるようになったから使っているんです。
そして皮肉なことに、その頃には講演生活で喉も鍛えられていて、カラオケでも声が枯れなくなっていた。
人生というのは、本当にうまくできているというか、遅れてやってくるというか。そういうものだなと思います。
ステップ2-25:カーオーディオに人生を注ぎ込んだ大学時代
大学1年生の時に、母親から譲り受けた車がありました。
これを改造しまくっていまして、特にカーオーディオの部分は、もうお金を注ぎ込みまくりましたね。
当時はCDチェンジャーも持っていたし、MDチェンジャーも持っていたし、そしてウーハーをつけたり、リアスピーカーをつけたりしていました。
使っていたのはADDZEST(アゼスト)という、かつてクラリオン(Clarion)が展開していた高級カーオーディオおよびカーナビのブランドですね。これでかなりお金をかけて改造していました。
そして、レンタルで借りたCDをカセットやMDに録音して、大音量で音楽を流しながら車を運転するというのが、大きな楽しみになりましたね。趣味になりましたね。
これで「聞く場所」もできたわけなんですけれども。
家では聞けない、という制約の中で育った人間が、自分だけの音響空間として車を選んだ。これは今思えば、ものすごく自然な流れだったんだろうと思います。
そして大学3年生ぐらいになると、さっきも紹介したように、映像付きで保存できるようになったので、これが大量に今もまだ保存されている状態になっています。
これは今、VHSがそもそもないので見ることはできないんですけれども、かなり貴重な映像が今含まれている可能性があるかなと思っています。
ステップ2-26:ビーイング系とTKサウンドの時代
さっき紹介したように、高校時代はBOØWYなどを聞いていて、そしてブルーハーツとか出てきて聞いていました。UNICORNとかですね、聞いておりましたけれども。
大学に入る頃から、いわゆるビーイング系と言われている音楽を聞くようになります。
B’zに始まって、ZARD、WANDS、T-BOLAN、REVとかですね。いろんな方が、FIELD OF VIEWとかですね。
今、FIELD OF VIEWがめちゃくちゃ再ブレイクで流行っているんですけれども、30年ぶりに今、世界中でヒットしているらしいんですけれども、こういう方たちが出てきたことによって、ビーイング系を聞くようになりました。
そして高校時代から聞いていたのがTM NETWORK。小室哲哉さんの曲が好きで、いわゆるTKサウンドというものを聞いておりました。
ステップ2-27:最初に好きになった女性ボーカリスト ─ 宇徳敬子さん
この中でようやく、女性ボーカリストとして最初に好きになった人というのが出てきます。
当時ビーイングに所属していました、Mi-Keという3人組のアイドルグループがあったんですけれども、この宇徳敬子さんでした。
宇徳敬子さんは、もともとMi-Keとしてアイドルグループとしてデビューする前は、「おどるポンポコリン」で有名なB.B.クィーンズというところのバックコーラスをしている3人組だったんですね。
それが独立してMi-Keとして出たんですけれども、このセンターにいる女の子の宇徳敬子さんが大好きなんですね。
これに関してはまた、詳しくはAI音楽ラジオの方で過去に喋っているので、ぜひまた見ていただきたいんですけれども。
ステップ2-28:坂井泉水さん、大黒摩季さん、倉木麻衣さん
さらにこのビーイング系で、ZARDの坂井泉水さん。さらには大黒摩季とか倉木麻衣とかですね。
倉木麻衣さんのビジュアルも、実はMiliaさんに入っていますよね。
など、好きになっていくわけなんですけれども。
ステップ2-29:今でも一番好きなアーティスト、浜田麻里さん
そしてもう1人。これは高校時代から少し聞いていたんだけれども、大学時代かな、より聞くようになったのが浜田麻里さんです。
浜田麻里さんは非常に好きで、今でも一番好きなアーティストです。ここにもありますけれどもね、最近40周年でベストアルバムを出しましたけれども、大好きなんです。
ステップ2-29-2:なぜこの時期に、これだけの影響を受けたのか
ここで一つ、自分でも気づいたことがあります。
僕が「誰が好きか」をはっきり言えるのは、高校から大学にかけての時期が圧倒的に多いんですね。
BOØWY、氷室京介、布袋寅泰、尾崎豊、BUCK-TICK、UP-BEAT、ビーイング系の面々、TM NETWORK、宇徳敬子さん、坂井泉水さん、浜田麻里さん。
一方、新潟に来て以降 ─ つまり30代以降は、強烈に残ったアーティストが己龍とBAND-MAIDの2組しかいません。
これはなぜでしょうか。
おそらく、この時期が「自分で選び始めた最初の時期」だからだと思います。
小学校から中学校までは、母が聞いていたもの、友達がくれたもの、ラジオから流れてきたものを受け取っていただけでした。自分の意志はほとんど入っていません。
それが高校で、兄のラジカセを借りてエアチェックを始めた瞬間から、「自分で選んで、自分で録る」になった。大学でアルバイトを始めてからは、「自分のお金で、自分の判断で借りる」になった。
つまり、初めて主体的に音楽と向き合った時期に出会ったものが、一番深く刺さっているということなんですね。
これは、AI音楽をやる上でも重要な示唆だと思っています。
人がある曲を一生忘れないのは、曲そのものの質だけではなく、「その曲とどう出会ったか」によるところが大きい。自分で探して見つけた曲、大事な誰かに教えてもらった曲、人生の節目に流れていた曲。そういうものが残るんです。
だから僕は、曲を作る時も届け方を考えます。ただ配信して終わりではなく、どういう文脈で、どういう言葉を添えて、誰に向けて出すのか。そこまで含めて「曲」だと思っているんですね。
ステップ2-30:Miliaを構成する3つの要素
さて、ここが今日の話の中でも特に重要なところです。
今お話しした宇徳敬子さんは、とにかく性格が好きなんですね。
この性格の良さの部分と、そして坂井泉水さんのビジュアル。そして浜田麻里さんのロック、ヘヴィメタという楽曲性。
この3つの要素を融合させたのが、今僕がやっているAIシンガーのMiliaなんですね。
だからMiliaちゃんという人は、この3つの要素をうまく取り入れています。見た目はちょっと坂井泉水っぽいでしょう。あのこうポニーテールしていて。一応、性格はこの宇徳敬子さんっぽいということをイメージしていて。そして曲調は、非常にロックとかヘヴィメタを歌うという浜田麻里さんのポイントが入っている。
この3つの要素でできているのが、Miliaという女性AIシンガーなんですけれども。というものになっているのは、この大学時代から構築されているものになります。
つまり、2024年にSunoでMiliaを作ったように見えて、その設計図は30年前にはもう完成していたということなんですね。
ステップ2-31:3つの要素を、もう少し細かく分解する
もう少し細かく言いますね。
宇徳敬子さんは、もちろん曲も全部好きなんですけれども、ご本人の性格とか雰囲気の部分ですね。優しさ、温かさ、包み込むような世界観。ここからMiliaのコンセプトに入っています。
坂井泉水さんは、何と言ってもビジュアルと透明感ですね。この凛とした美しさ、透明感。そして言葉の力。彼女は作詞をされていましたので、そこからも得ております。
そして曲調ですね。ヘヴィメタルとかロックというのは浜田麻里さんの曲調を生かしたのがMiliaのコンセプトになっていて、力強さ、情熱、ドラマチックなサウンドというものですね。
ここで大事なのは、「誰かが好き」ということではなくて、「その人の何に惹かれたのか」ということが、AIシンガーの設計図になったということですね。
「〇〇さんが好きだから〇〇さん風のAIシンガーを作る」のではありません。好きだった人たちから、惹かれた成分だけを抽出して、それを再構成する。これがMiliaの作り方でした。
【表7】AIシンガー「Milia」の設計図
| 構成要素 | 由来となるアーティスト | 具体的に取り入れた成分 | Miliaでの表れ方 |
|---|---|---|---|
| 性格・雰囲気 | 宇徳敬子さん(Mi-Ke) | 優しさ、温かさ、包み込むような世界観 | キャラクターの人柄、ファンとの距離感 |
| ビジュアル・透明感 | 坂井泉水さん(ZARD) | 凛とした美しさ、透明感、言葉の力(作詞) | 見た目(ポニーテール)、歌詞の世界観 |
| 楽曲性 | 浜田麻里さん | ヘヴィメタル/ロック、力強さ、情熱、ドラマチックなサウンド | 曲調、ジャンル選択、サウンドの方向性 |
| ビジュアルの一部 | 倉木麻衣さん | ビジュアル要素 | 見た目の要素として反映 |
ステップ2-32:男性ボーカリストから受けた影響
今度は男性ボーカリストの話です。
振り返ってみると、やっぱり先ほど紹介した、高校の時に好きだった女の子の影響で聞いた尾崎豊。これは相当、僕の人生にも影響を与えたと、さっき話しましたよね。
そしてさらには徳永英明さんですね。徳永英明さんは、うちの母親が、僕が聞いていたのを聞いてファンになってくれたこともあって、特に思い出があります。
そして、モテない男性というかですね、そういうキャラクターとしていろんな詞を書いていて、好きな人で徳永英明さん。
そしてもう1人、モテないといえばですね、浜田省吾。
この3人の曲や歌詞、世界観というものに強く影響を受けたと思っていて、なので孤独だったりとか、男性側の気持ちとか、こういう恋愛に対しての片思いの曲とか、こういったものを今の僕が歌詞を自分で書いていますけれども、影響を受けているんじゃないかなと思っていますね。
ステップ2-33:僕の音楽を聴くベースになった人たち
そのほか、氷室京介さん、BUCK-TICK、BOØWY、L’Arc〜en〜Ciel、TM NETWORK、小室哲哉さん、B’z、X JAPAN、THE BLUE HEARTS、シャ乱Q、つんく♂さんなどが、僕の音楽を聴くベースになった人たちですね。
これが僕の人生を変えた人たちになっています。
【表8】影響を受けたアーティストと、今への反映
| 区分 | アーティスト | 受けた影響の中身 | 今の作品への反映 |
|---|---|---|---|
| 女性ボーカル | 宇徳敬子/坂井泉水/浜田麻里/大黒摩季/倉木麻衣 | 性格・透明感・楽曲性・ビジュアル | AIシンガーMiliaのコンセプト全体 |
| 男性ボーカル(歌詞・世界観) | 尾崎豊/徳永英明/浜田省吾 | 孤独、男性側の心情、片思い | 男性目線の歌詞、切ない恋愛ソング |
| ロックの原体験 | BOØWY/氷室京介/布袋寅泰/BUCK-TICK/UP-BEAT | サウンド、ライブ映像の衝撃 | ロック系楽曲の方向づけ |
| バンド/プロデューサー | L’Arc〜en〜Ciel/TM NETWORK・小室哲哉/B’z/X JAPAN/THE BLUE HEARTS/シャ乱Q・つんく♂ | 楽曲構成、サウンドメイク、詞の作り方 | 幅広いジャンルへの対応力 |
| ビーイング系 | B’z/ZARD/WANDS/T-BOLAN/REV/FIELD OF VIEW | 90年代J-POPのメロディ感覚 | キャッチーなメロディライン |
ステップ2-34:エアチェックという行為が、今のAI音楽にどうつながっているか
ここで、エアチェックの話をもう少し掘り下げておきたいと思います。
今の若い方に「エアチェック」と言っても、たぶん全く通じないと思うんですね。だって、聞きたい曲はサブスクで検索すれば一瞬で出てきますから。
でもあの時代は違いました。聞きたい曲を手に入れるためには、「いつ、どの番組で流れるか」を知り、その時間にラジオの前に待機し、曲紹介の声を聞き分けて、コンマ数秒のタイミングで一時停止を解除しなければならなかった。
つまり、1曲を手に入れるのに、こういう工程が必要だったわけです。
- 番組表を把握する(どの番組がどんな選曲か)
- フル尺で流す番組を見分ける(1番だけの番組では意味がない)
- その時間に必ずラジオの前にいる
- 録音ボタン+一時停止で待機する
- 曲紹介を聞き分けて、正確なタイミングで解除する
- 終わり際のフェードアウトやアナウンサーの声が入らないか祈る
6工程です。1曲のために。
これを何年も繰り返した人間が、どういう聞き方をするようになるか。答えは「1曲を、ものすごく大事に聞くようになる」です。
苦労して録った曲は、何度も何度も聞きます。イントロの長さも、曲の構成も、どこで転調するかも、全部覚えてしまう。今のように「合わなかったらスキップ」ということが、そもそも発想としてなかったんですね。
この「1曲を最後まで、何度も聞く」という習慣が、僕の中に膨大な楽曲構造の記憶を残しました。これがラージメロディモデルの実体です。
そしてAI音楽を作る時、僕は「Aメロがこのぐらいの長さで、ここでBメロに入って、サビはこう来る」という構成を頭の中で描けます。これは理論を学んだからではなく、何千曲もフルで聴き込んだ結果、体に染み込んでいるからなんですね。
ステップ2-35:レコード店の店頭で、映像に飢えていた高校生
BOØWYの話も、もう少し補足させてください。
当時の僕は、映像に飢えていました。テレビがない、ビデオデッキもない。音楽番組も見られない。
だからレコード店の店頭でミュージックビデオが流れているというのは、僕にとって唯一の「動くアーティストを見られる場所」だったんですね。
普通のお客さんは、店内を回りながらついでに画面を見る程度だと思います。でも僕は、画面の前に立って、食い入るように見ていました。たぶん、店員さんから見たら不思議な高校生だったと思います。
そこで見たBOØWYのライブ映像は、本当に衝撃でした。音楽だけを聴いていた時と、動いている姿を見た時では、受ける情報量が全く違うんですね。
面白いのは、僕はその後、音だけでドラマを想像するトレーニングをする一方で、こうやって映像への渇望も持っていたということです。
音から映像を想像する力と、映像そのものへの強い関心。この両方があるから、今、歌詞を書く時に「この曲のミュージックビデオはこういう画になる」というところまで思い浮かべながら作れるんだと思います。
ステップ2-36:「支配からの卒業」が、なぜあれほど刺さったのか
尾崎豊の「卒業」について、もう少しだけ。
好きだった女の子が聞いていたから聞き始めた。動機としては、本当にそれだけです。
でも、あの歌詞が僕に刺さった理由は、動機とは全く別のところにありました。
僕はテレビ禁止の家で育ちました。お小遣いをもらったことがありません。音楽を聞くのも、兄のラジカセを兄がいない間だけ借りるという形でした。自分で決められることが、ほとんどなかったんですね。
そこに、「支配からの卒業」「自由になりたかった」という言葉が飛び込んできたわけです。
刺さらないわけがないんですよ。
ただ、面白いのは、僕がこのことに気づいたのがつい3年ほど前だということです。両親が亡くなって、初めて自分の人生を落ち着いて振り返った時に、「ああ、僕を象徴する1曲はこれだ」と腑に落ちた。
つまり、40年近く、自分でも気づかずにその影響下にいたということなんですね。
今こうしてAI音楽をやっているのも、ある意味では「自由になりたかった」の延長線上にあるんだと思います。楽器が弾けなくても、歌が上手くなくても、音楽を作れる。これは僕にとって、まさに自由なんです。
ステップ2-37:承の章のまとめ ─ 「想像する」と「集める」を手に入れた
この【承】の章で僕が手に入れたものも、整理しておきます。
1つ目は、「想像する(妄想する)」という力。音だけでドラマを聞き続けた高校の3年間が、言葉や音から映像を立ち上げる回路を作りました。これが今の作詞の核心です。
2つ目は、「集める」という執念。エアチェックから始まり、大学でのレンタルCD全借り生活へと拡大していきます。ジャンルを問わず全部聴くという習慣が、膨大なインプットを生みました。
3つ目は、「好きなものを分解する」という視点。宇徳敬子さん、坂井泉水さん、浜田麻里さん。誰が好きかではなく、その人の何に惹かれたのかを言語化できたこと。これがMiliaの設計図になりました。
そして次の【転】の章で、いよいよ「選ぶ」と「届ける」が登場します。僕の人生が、自分のためのものから、他人のためのものへと変わっていく章です。
【転】「集める」から「届ける」へ ─ 社会人時代に完成した音楽ソムリエという技術
ステップ3-1:社会人になる ─ 父の会社に入社、東京営業所へ
はい。で、これでですね、社会人になります。
社会人になると、父の会社に入社しまして、営業職として東京営業所の方に所属されます。
ここで、ちょっとした事件がありました。
ステップ3-2:廃車になった車と、営業車に積み替えたオーディオ
当時、学生時代に使っていたカーオーディオとスピーカーが乗っていた車は、東京に持っていくことができなくて、廃車になったんですね。
大学時代にあれだけお金をかけた車が、なくなってしまったわけです。
しかし僕は諦めませんでした。
このスピーカーとオーディオを営業車に積み込んで、全国を営業で車で移動しながら音楽を聞いて営業する、というスタンスが始まったわけなんですね。
車は変わっても、音響だけは死守したということです。
これで「録音するもの」と、そして「それを聞くもの」というのがうまく揃って、全国を回り始めるわけですね。
ステップ3-3:1994年、営業車にMDチェンジャーとCDチェンジャー
当時はですね、1994年からですけれども、営業車にMDチェンジャーというのを積んでいまして、複数のMDを交換しないでも連続再生できるような環境を作っていました。あわせてCDチェンジャーも積んでいまして。
もう何せですね、東京から青森まで700kmぐらい、車で移動するみたいなことをやっていたんです。
だから、もう7時間8時間はもう走りっぱなしだったんですね。
その時にずっと音楽を聞くということをやっていたので、だから仕事している時間よりも、多分音楽を聞いている時間の方が長いぐらいですね。それをやっていました。
これはもう、営業の仕事をしながら音楽を聞いていたのか、音楽を聞きながら営業の仕事をしていたのか、分からないレベルです。
ステップ3-4:毎日のヒット曲をループで聞き続ける
でもその時は、いわゆる誰か特定のアーティストをずっと聞いていくこともやっていたけれども、結局ね、毎日いろんな曲を録音していたので、その毎日のヒット曲を順番にループして聞いているっていう感じが多かったような気がしますね。
そういう形で、全国各地に営業に行っていました。
車の中が、僕にとっての巨大な再生装置であり、同時に巨大なインプット装置だったわけです。何時間も運転しながら、ヒット曲を延々と浴び続ける。この蓄積が、後の「ラージメロディモデル」の中身になっていきます。
ステップ3-5:営業先で見つけた中古CDショップ
そうすると今度は、この営業で車で回っていると、営業先にいわゆる中古CDショップがあるわけですよ。
営業のついでに、その店に訪問してみる。
そうすると、「あ」から「わ」まで、アーティストが順番にこう並んでいるわけですね。
ステップ3-6:背表紙を1枚ずつ眺めて、知らないアーティストを探す
その棚のCDの背表紙を1個1個眺めていって、「知らないアーティストはいないかな」と探すんですね。
そして知らないアーティストの名前が出てくると、出してみて「どんな人かな?」と見る。
いわゆる「ジャケ買い」というやつですけれども、見てなんか気になるような人がいれば、それを買うというのをやっていましたね。
ステップ3-7:ジャケット、レーベル、スペシャルサンクスから推理する
なので、ジャケ買いとか、あとはレーベルとか。それから「スペシャルサンクス」が裏に書いてあるので、それも見るんですね。
「あ、この音楽事務所系だったらいい曲がありそうだ」とか、「あ、この人の系列だったらいい曲がありそう」とか。そういうのを見ながら、ジャケ買いをして音楽を新しく探すということを始めました。
だってヒット曲はもう全部網羅していたんですよ。だから、ヒット曲ではなくて、「ヒットしないけどいいアーティストはいないかな」というのを探しに行っていたんですね。
これは社会人になってから始めました。
ステップ3-8:これはSpotifyのおすすめ機能を、人力でやっていたということ
これ、今で言えばSpotifyがやっているようなおすすめ機能を、人力でやっていたということですよね。
レーベルという「属性」を手がかりにする。スペシャルサンクスという「人的なつながり」をたどる。ジャケットという「見た目」から中身を推測する。
これって、まさにレコメンドエンジンがやっていることそのものなんです。協調フィルタリングも、コンテンツベースのフィルタリングも、当時の僕は全部アナログでやっていたわけですね。
そして、人力でやっていたからこそ、その判断基準が自分の中に残っている。これが今、AI音楽を作る時にも生きているんだと思います。
【表9】人力レコメンドの手がかりと、現代の対応物
| 当時の手がかり | 具体的なやり方 | 現代で言えば |
|---|---|---|
| ジャケット | ビジュアルから中身を推測する(ジャケ買い) | サムネイル、アートワークによる推薦 |
| レーベル | 「この事務所系ならいい曲がありそう」と判断 | レーベル・所属アーティストによる関連推薦 |
| スペシャルサンクス | クレジットから人的なつながりをたどる | 参加ミュージシャン・共作者ベースの推薦 |
| 複数ランキングの照合 | 有線・オリコン・リクエストを突き合わせる | チャートデータの統合分析 |
| 紙の中古CD一覧 | 郵送で届く一覧を1行ずつ読む | ECサイトの商品リスト、レコメンドメール |
ステップ3-9:ビジュアル系インディーズにはまった時期
当時はビジュアル系のインディーズバンドにはまっていました。
ちょうどBUCK-TICKとかX JAPANとかが出てきて、その後MALICE MIZERが出てきまして、そこからDIR EN GREYとかが出てきて、そこからさらにいっぱいいるんですけれども、ガーっとこう聴いていくわけなんですね。
ビジュアル系のインディーズは、ほぼほぼ全部僕は持っているんじゃないかなと思っているんですけれども。
ステップ3-10:L’Arc〜en〜Cielのインディーズ時代のCDを数万円で買った話
その中で、これは言ったら怒られるんだけれども、L’Arc〜en〜Cielというのはビジュアル系じゃないんですが、L’Arc〜en〜Cielも集めていたところですね。
なんと、まだ有名になる前のインディーズ時代の貴重な、ライブ会場で配布しているようなCDがあって、それを数万円出して購入したりしていましたね。
CD1枚に数万円。今考えると相当なものですが、当時は迷わず買っていました。
ステップ3-11:インターネット普及前の「中古CD一覧」は紙で郵送されてきた
これが、今でこそインターネットが普及しているからネットから買えるんだけれども、当時はインターネットがまだ普及していないので、方法が全然違ったんですね。
その中古のCDショップから、中古CDの一覧になっているものが、紙で郵送で送られてくるんです。
そのちっちゃい字で1行ずつこうね、アーティスト名、曲名と、どんな曲が入っていて、いくらです、みたいなことが書いてある。
それを1行ずつ見ながら、気になる人があったらそれを注文するということでね、やっておりました。
なので、そこで、さっきのL’Arc〜en〜Cielの曲を見つけたりしたんですけれども。そんな生活をしていました。
小さな文字のリストを1行ずつ舐めるように読んでいく。これも、中学生の時にランキングをメモしていた行動と、構造は同じですよね。データを端から端まで読む。これが僕のやり方なんです。
ステップ3-12:妻からの追及 ─ 「貯金額が合わない」
なので実は、結婚した時に、うちの妻から追及を受けることになります。
どのぐらいの給料をもらっていて、どのぐらいの家賃のところに住んでいて、どんな生活をしているか。結婚すると、だんだん把握されますよね。
で、計算されたんですよ。
給料と生活費を計算して、「もう貯金額が合わない」と問い詰められまして。
そこで、大量に音楽に投資したということを白状することになってしまうんですけれども。
ステップ3-13:音楽への投資額を計算してみる
多分ね、10万円ぐらいとかは毎月使っていたんじゃないかなと思うんですよね。うん。そんなに問い詰められるぐらいだから、多分ほとんど使っていたんだと思うんで。
そのぐらい×12でしょ。で、120万でしょ、1年間で。かける10年だから1000万ぐらい。1000万以上は多分僕、突っ込んでいるんじゃないかなと思うんですけれども。
そういう生活をしておりました。
改めて書き出してみると、なかなかの金額です。ただ、僕はこれを無駄遣いだったとは思っていません。この投資が今、AI音楽という形でリターンを生み始めているからです。
ステップ3-13-2:1000万円は、何に変わったのか
とはいえ、当時は誰もそんなことを思っていません。妻からすれば、当然「何にそんなに使っているの」という話です。僕自身も、将来これが何かになるとは1ミリも思っていませんでした。
ただ純粋に、音楽が好きだった。知らないアーティストを見つけるのが楽しかった。それだけです。
では、その1000万円は何に変わったのか。改めて棚卸ししてみます。
1つ目は、圧倒的なジャンル横断力です。
演歌からビジュアル系インディーズまで、僕はほぼ全ジャンルを一通り通過しています。今、Sunoでどんなジャンルを指定しても「こういう感じだな」という当たりがつくのは、この幅のおかげです。
2つ目は、「売れていないけれど良いもの」を見つける目です。
ヒット曲は全部網羅していたので、僕が探していたのは「ヒットしないけれどいいアーティスト」でした。ジャケット、レーベル、スペシャルサンクス。手がかりから当たりをつけて掘る。
この目は、今のAI音楽の世界でも役に立っています。まだ誰もやっていない切り口、まだ誰も歌っていないテーマ。それを見つける時の感覚は、中古CDショップの棚の前に立っていた時と全く同じなんですね。
3つ目は、物理的なアーカイブそのものです。
カセット数百本、CD数百枚、MD数百枚、そしてVHS。これらは今も手元にあります。VHSは再生機器がないので見ることができませんが、かなり貴重な映像が含まれている可能性があります。
4つ目は、これが一番大きいのですが、自分の中に残った記憶です。
聴いた曲の歌詞、メロディ、構成、コード感。これがラージランゲージモデルであり、ラージメロディモデルです。1000万円を払って手に入れた最大の資産は、実はモノではなく、頭の中にあるものだったということですね。
この4つ目だけは、誰にも奪われませんし、誰にも真似されません。
ステップ3-14:現在も残っている膨大な音楽アーカイブ
ということで、今現在では、カセットテープが数百本ぐらい。CDが数百枚ぐらい。MDも数百枚ぐらいあって、膨大なコレクションを今持っているんですね。
そして音源だけではなくて、さっき言ったVHSの映像まで含めると、自分自身の音楽アーカイブがここで形成されていたんですね。
なので、ラージランゲージモデルとラージメロディーモデルですね。この2つは、この膨大なコレクションを聞いてきた、そしてそれを聞き続けてきたことから生まれているんじゃないかなと思うんですよね。
【表10】現在残っている音楽アーカイブ
| 媒体 | 数量 | 中身 | 現状 |
|---|---|---|---|
| カセットテープ | 数百本 | エアチェック録音、レンタルCDからの録音 | 保存中 |
| CD | 数百枚 | 購入・ジャケ買い・インディーズ盤を含む | 保存中 |
| MD | 数百枚 | レンタルCDからの録音、選曲集 | 保存中 |
| VHS | 多数 | ミュージックビデオ、音楽番組出演の録画 | 再生機器がなく視聴不可。貴重映像を含む可能性 |
ステップ3-15:仙台営業所の立ち上げ ─ 初めて上司になった日
これで東京に5年いまして、それから仙台営業所を立ち上げることになりまして、僕は営業所長として行くわけなんですけれども。
この時にやっぱり、部下や同僚とのコミュニケーションを取らなきゃいけない。自分が上司に初めてなったので、これをしなきゃいけないということになりました。
そこで僕が考えたのが、「音楽を通してコミュニケーションを取ろう」ということだったんですね。
自分が一番持っているカードで勝負しよう、ということです。
ステップ3-16:音楽ソムリエとしての振る舞い
当時はよく一緒にカラオケにも行っていましたし、音楽をいろいろ聞き合うこともやっていたんですね。
それでその人たちが聞いている音楽を教えてもらって、「あ、そういう音楽を聞いているんだったら、この音楽を聞いたらいいよ」みたいな、いわゆる音楽ソムリエみたいなことをやっていました。
そこで、その人の好みに合わせてオリジナルで選曲したCDを作ってプレゼントするようなことを始めたんですね。
ここが、僕の人生における非常に大きな転換点だったと思っています。
それまでは「自分のために集める」だった。ここで初めて「誰かのために選ぶ」に変わったんです。
ステップ3-17:「マイベストカラオケ」シリーズ ─ ラ・リ・ル・レ・ロの5企画
そこで始めたのが「マイベストカラオケ」シリーズです。
「ロッキン」編、「ラッフィン」編、「リッスン」編、「ルッキン」編といった形で展開しました。お気づきでしょうか。ラ・リ・ル・レ・ロなんですね。
- 「ラ」がラッフィン。お笑い系の面白い音楽を集めたのがラッフィンですね。
- 「リ」がリッスン。これはみんなが好きそうなヒット曲を集めたものです。
- 「ル」がルッキン。今度は注目の新しいアーティストだけを集めたものがルッキンです。
- 「レ」がレッスン。同僚と一緒にカラオケに行くので、カラオケでみんなが歌って盛り上がる曲、みんなで覚えて歌おうという曲を集めたのがレッスンですね。
- 「ロ」がロッキン。これは僕が聞いているロックをみんなにも普及させたいので、それを集めたものがロッキンです。
このラ・リ・ル・レ・ロを意識したCDを、1枚74分で、12〜13曲ぐらい入ると思うんですけれども、これをもう10セット以上、多分作ったんじゃないかなと思うんですけれども、同僚に配ったりしていました。
最初は1つだったのが、どんどん増えていったという形ですね。
【表11】「マイベストカラオケ」ラ・リ・ル・レ・ロの5企画
| 頭文字 | シリーズ名 | コンセプト | 狙い |
|---|---|---|---|
| ラ | ラッフィン | お笑い系の面白い音楽を集める | 場を和ませる、話のきっかけを作る |
| リ | リッスン | みんなが好きそうなヒット曲を集める | 万人向けの入り口、共通言語づくり |
| ル | ルッキン | 注目している新しいアーティストを集める | 新しい発見を届ける、目利きの共有 |
| レ | レッスン | カラオケでみんなが歌って盛り上がる曲 | 一緒に覚えて歌う、場の一体感 |
| ロ | ロッキン | 自分が聞いているロックを普及させる | 自分の世界観を伝える |
1枚あたり74分・12〜13曲、10セット以上を制作。
ステップ3-18:ガソリンスタンドで自分のCDが流れていた
そうすると、面白いことが起こりました。
同僚が、自分が作った選曲のCDを、人から人にですね、実は知らない間に渡していたんです。
そしてある日、あるガソリンスタンドで、僕のCDがBGMで流れているということを知ったんですね。
これは衝撃でした。
自分が選んだ曲が、自分の知らない場所で、自分の知らない人に聞かれている。
ステップ3-19:父に「そんな仕事ねえよ」と言われた日
これで「自分が選んだ曲が誰かに聞いてもらえるんだ」という手応えを得て、DJとか、あとはいわゆるこのソムリエみたいなものが仕事になったらいいなと思ったんです。
そういう会社を作ろうと思って、実は父親の会社をやめようと思った時に、父にその話をしたんですね。
父は笑っていましたけれども、「そんな仕事ねえよ」と言っていました。
ステップ3-20:30年後、その仕事は存在している
今となっては、どうでしょうか。
多分DJという仕事もそうだし、例えばプレイリストというもので、やっぱり上手なプレイリストを作る人というのが人気があるというのも同じだと思うんだけれども、こういうものって今、インフルエンサーですよね。まさにね。
インフルエンサーという言葉は当時はないから、要はそういうことなんですよね。これをやっていました。
自分が音楽をセレクトして、それがいわゆるオムニバスCDと同じような形で、企画ものとして販売されるようなものであったらいいなと思っていましたね。
つまり、「そんな仕事ねえよ」と言われた仕事は、30年後にちゃんと存在していた。プレイリスト職人、キュレーター、インフルエンサー。名前は変わったけれど、やっていることは同じです。
そして今、僕はさらにその先へ行こうとしています。選ぶだけじゃなくて、作れるようになったからです。
ステップ3-21:家族へのオリジナルCDというコミュニケーション
僕はその同僚にも配っていたんだけれども、当時はまだ結婚していませんけれども、結婚することになった妻にも、自分が選曲したCDをプレゼントをいくつもしましたし、義理の母の方にもプレゼントしましたし、うちの長男にも、その人に合わせたオリジナルCDを作って渡すということをやっていました。
息子の場合は、成長すると今度は本人から曲のリクエストが来るんですね。それに自分がおすすめしたい曲を加えて、それでCDをプレゼントするという、親子間の音楽コミュニケーションもできてきた。
ということで、音楽を通して、例えば義理の母とか、妻とか、子供とかとコミュニケーションをするということもできるということですね。やっているんですね。
ステップ3-22:「作れなくても、選んで届けることはできた」
ここがポイントです。
「作れなくても、選んで届けることはできた」ということなんですね。
音楽は自分では作ることはできないし、歌うこともできなかった。だけど、聞いて、選んで、並べて、届けることで、音楽は人と人をつないでくれた。
どの人にどういう曲を届けたらいいのかということを、ずっと考えてやっていたわけです。
この「どの人にどういう曲を届けるか」という問いは、今もまったく変わっていません。相手が同僚から、YouTubeやSunoのリスナーに変わっただけなんです。
ということですね。いろんな音楽を聞いてきたので、どういうアーティストでどういう曲を聞いてきたかというのは、ちょっと今回はやりませんけれども、1980年代から2000年代にかけて幅広い音楽を聞き続けたということは間違いないのかなと思っています。
【表12】「集める」から「届ける」への転換
| フェーズ | 時期 | 行動 | 相手 |
|---|---|---|---|
| 聞く | 小学〜中学 | ラジオで受動的に聞く、ランキングをメモ | 自分 |
| 集める | 高校〜大学 | エアチェック、レンタルCDを全部録音 | 自分 |
| 掘る | 社会人初期 | 中古CDショップでジャケ買い、インディーズ発掘 | 自分 |
| 選ぶ | 仙台営業所時代 | 相手の好みに合わせて選曲CDを作る | 同僚・部下・妻・義母・長男 |
| 届ける | 同上〜現在 | 選んだものを人に渡す/配信する | 知らない誰かにまで広がる |
| 作る | 2024年〜 | AIで自分の曲を作り、その人にプレゼントする | リスナー・大切な人 |
ステップ3-23:新潟へ ─ 記憶に残っているのは2組だけ
これで社会人になって、東京5年、そして仙台5年いまして、その後結婚して新潟に来るわけなんですね。
ここから以降というのは、仕事が忙しかったというのもあるかもしれませんけれども、特になんかはまった、強烈に残ったっていうアーティストは実はあんまりいなくて、多分記憶に残っている限りでは、多分2人ぐらいしか、2組ぐらいしかいないですね。
ステップ3-24:和製ホラーのビジュアル系バンド、己龍
1つが、和製ホラーのビジュアル系バンドの己龍というバンド。
このバンドは非常に音楽性が、和を意識しているような歌詞になっていて、曲名が全部日本語なんですね。歌詞も日本語が多くて、和テイストの和楽器とか取り入れている、非常に面白いバンドなんですけれども。
己龍はかなり聴きましたね。
ステップ3-25:世界で注目される女性5人組ロックバンド、BAND-MAID
そして最近では、女性5人組のロックバンドのBAND-MAIDというもの。
世界では、BABYMETALとかね、話題になっていますけれども、BABYMETALの後発で今、世界でも流行っているというか、注目されているBAND-MAIDというグループがあるんですけれども、この曲もよく聞きましたね。
だから、己龍を知った年と、BAND-MAIDを知った年というのは、多分1年間ほぼこの曲だけしか聞いていないという年があったりしましたけれども。
一つのアーティストにはまると、1年間ずっとそれだけを聞き続ける。これも僕の性質なんでしょうね。
ステップ3-25-2:「全部聴く」から「1つを聴き込む」への変化
この己龍とBAND-MAIDの話は、実は僕の聞き方が変わったことを示していると思っています。
若い頃の僕は、とにかく「全部聴く」人でした。レンタルランキング1位から50位まで、ジャンル問わず全部借りる。中古CDショップで「あ」から「わ」まで背表紙を見る。網羅することが目的でした。
ところが新潟に来て以降 ─ 仕事が忙しくなったこともありますが ─ 記憶に残っているのは2組だけです。そして、その2組にはまった年は、ほぼその曲しか聞いていない。
つまり、広く浅くから、狭く深くに変わったわけです。
これはどちらが良いという話ではなくて、順番が大事だったんだと思っています。
先に「全部聴く」時期があったから、後の「1つを聴き込む」が効くんですね。全体像を知っているから、その1組が何をやっているのか、どこが他と違うのかが分かる。
もし最初から狭く深くだったら、その良さを言語化できなかったと思います。
己龍が面白いのは、曲名が全部日本語で、歌詞も日本語中心で、和楽器を取り入れているという点です。BAND-MAIDが注目されているのは、女性5人組のロックバンドとして、BABYMETALの後発ながら世界で戦っているという点です。
こういう「何が他と違うのか」を言えるのは、比較対象を大量に持っているからです。
そして今、AI音楽で曲を作る時も、同じことをやっています。「この切り口は他にないな」と判断できるのは、他をたくさん知っているからなんですね。
ステップ3-26:浜田麻里さんへの回帰
一方でさっきも話しましたけれども、若い頃好きだった浜田麻里さんというのは、当時はヘヴィメタから始まったんだけれども、いわゆる「Return to Myself」というヒット曲が生まれた頃からポップになって、そこからちょっとおとなしい曲になっちゃったんですね。
それで1回離れたんですけれども、また彼女がヘヴィメタルに戻ってきまして、で、未だに現役でヘヴィメタルを歌っているんですけれども、今もう1回再燃して、今最も好きなアーティストの人になっているのが浜田麻里さんですね。
この音楽性を、今Miliaの方に反映していると言ってもいいんじゃないかなと思っております。
ステップ3-27:40年間、すべてのメディア変化をリアルタイムで経験した
ということでですね、音楽メディアとしては、レコード時代からカセット、CD、MD、iTunesによるダウンロード、そして音楽サブスクへと移行が行われていて、全ての変化をリアルタイムで経験しながら、この40年間にわたって音楽を聞き集め続けてきたということですね。
これはちょっとした財産だと思っています。どの時代に、どんな聞かれ方をしていたか。それを机上の知識ではなく、実体験として持っている。だからAI音楽という次のメディア変化が来た時にも、「またか」ではなく「来たか」と思えたわけです。
ステップ3-27-2:メディアが変わるたびに、何が起きてきたか
せっかくなので、アナリストらしい視点でも整理しておきます。
僕は40年間、音楽メディアの変化を全部、当事者として通過してきました。そこには毎回、同じパターンが繰り返されています。
第1段階:新しいメディアが出てくると、まず「音が悪い」「本物じゃない」と言われる。
カセットが出た時も、MDが出た時も、ダウンロードが出た時も、サブスクが出た時も、必ず「レコードの方がいい」「CDの方が音がいい」という声がありました。
第2段階:しかし、利便性が勝って普及する。
音質で劣っていても、持ち運べる、たくさん入る、すぐ聞ける。この利便性が、最終的には音質論争を上回っていきます。
第3段階:普及すると、そのメディアならではの新しい文化が生まれる。
カセットならエアチェックと、友達へのミックステープ。CDならレンタルと、僕がやっていた選曲CD。サブスクならプレイリスト文化。メディアが変わると、聞き方だけでなく「誰かに渡す方法」も変わるんですね。
第4段階:前のメディアで培われた技術やノウハウの一部が、無効化される。
エアチェックの技術は、レンタルCDの時代には不要になりました。選曲CDを焼く技術は、プレイリストの時代には不要になりました。
さて、ここでAI音楽です。
今まさに、第1段階の「本物じゃない」という声がある時期ですよね。そして第2段階の利便性は圧倒的です。第3段階の新しい文化も、すでに生まれ始めています。
じゃあ第4段階で何が無効化されるのか。楽器の演奏技術でしょうか。歌唱力でしょうか。
僕はそうは思っていません。無効化されるのは「技術そのもの」ではなく、「技術がないと表現できなかったという制約」の方だと思っています。
弾ける人はこれからも強い。ただ、弾けない人が排除されなくなった。それだけの話なんですね。
そして、これまでの全てのメディア変化で一貫して価値を持ち続けたものが1つだけあります。それは「何を選び、何を届けるか」という判断です。
レコードの時代も、サブスクの時代も、AIの時代も、これだけは変わりません。だから僕は、55年かけて磨いてきたこの部分に、いま全部を賭けているわけです。
【表13-2】メディア変化のたびに起きる4段階
| 段階 | 起きること | カセット期の例 | AI音楽での現在地 |
|---|---|---|---|
| 第1段階 | 「音が悪い」「本物じゃない」と言われる | レコード派からの批判 | 「AIは本物の音楽じゃない」という声 |
| 第2段階 | 利便性が音質論争に勝ち、普及する | 持ち運べる、録音できる | 誰でも作れる、コストが低い |
| 第3段階 | そのメディア固有の文化が生まれる | エアチェック、ミックステープ | AIシンガー、AI音楽コミュニティ、日次配信 |
| 第4段階 | 前時代のノウハウの一部が無効化される | エアチェック技術が不要に | 「技術がないと作れない」という制約の消滅 |
| 全段階共通 | 変わらず価値を持つもの | 何を選び、誰にどう届けるか | 同じく、何を選び、誰にどう届けるか |
ステップ3-28:2007年の起業と、3つ目の肩書き「音楽コンサルタント」
それでようやく、僕は起業するわけですね。
2007年に起業した際には、今の本業でありますネットビジネスアナリストという肩書きと、電脳アイデア泉人という2つの肩書きを持っているんですけれども、これとは別に、実は「音楽コンサルタント」という肩書きを作って、活動を細々とやっていたんですね。
ここ、あまり知られていない話だと思います。
ステップ3-29:音楽コンサルタント協会という公式サイトまで作った
さらには「音楽コンサルタント協会」という公式サイトまで立ち上げました。
やろうとしていたことは、こういうことです。
ミュージシャンの方がどうやってSNSとかを使って有名になるかっていうね、これ、そういうセミナーも過去にやったことがあるんですけれども。あるいは、企業が音楽を活用してサービスを作る方法とか。いわゆる「音楽×ビジネス」のコンサルティングというのもやっていこうと思って会社を作ったんです。
ステップ3-30:「趣味なんでしょ」と言われ続けた20年
だけど、この仕事がほとんど来なかったんですね。
「趣味なんでしょ」と言われるわけです。
それに対して僕は、「いや、趣味じゃなくて音楽はビジネスになるんですよ」という風に言っていたんですが。
まさか、これが20年近く経ってAI時代に、再び音楽を仕事にするという構想が花開くなんてことは、当時は全く思っていませんでした。
でも今は、現実味を帯びたものになっているんじゃないかなと思いますね。
当時は花開かなかったけれど、夢は消えていなかったということですね。
【表13】2007年の起業時に掲げた3つの肩書き
| 肩書き | 位置づけ | 当時の状況 | 現在 |
|---|---|---|---|
| ネットビジネスアナリスト | 本業 | 講演・セミナー・執筆の主軸 | 継続中。講演生活は2011年頃から本格化 |
| 電脳アイデア泉人 | 本業のもう一つの顔 | アイデア発想・企画の切り口 | 継続中 |
| 音楽コンサルタント | 第3の肩書き | 仕事がほとんど来ず「趣味でしょ」と言われる | AI音楽の登場により、構想が現実味を帯びる |
ステップ3-31:選曲CDを作るときに、実際に何を考えていたか
仙台営業所時代の選曲CDについて、もう少し具体的にお話ししておきます。
「その人の好みに合わせて選曲する」と一言で言いますが、実際にやっていたことはかなり細かい作業でした。
まず、相手が今どんな音楽を聞いているかを聞き出します。これは飲み会やカラオケの場で自然に出てくる情報です。
次に、そこから「この人は何に反応しているのか」を推定します。声質なのか、メロディなのか、歌詞なのか、テンポなのか、それとも単に流行っているから聞いているだけなのか。ここを見誤ると、渡したCDが全く刺さらないんですね。
そして、その推定をもとに曲を並べます。ここが一番大事なところです。
1枚74分、12〜13曲。この順番には意図があります。1曲目は必ず「その人が知っている曲、確実に好きな曲」を置きます。ここで警戒が解けるんですね。そして2〜3曲目あたりに、少し知らない曲を混ぜる。中盤で完全に知らない曲を入れて、後半でまた知っている曲に戻す。最後は余韻が残る曲で締める。
こうやって「知っている曲」と「知らない曲」の配合と配置を設計していました。全部知らない曲だと聞いてもらえない。全部知っている曲だと渡す意味がない。その間を狙うわけです。
そして「ラ・リ・ル・レ・ロ」という5つのシリーズに分けたのは、相手の目的によって求めるものが違うからです。カラオケで盛り上がりたい人にロックだけ渡しても意味がない。だから用途別に分けたんですね。
この「相手を推定して、順番を設計して、届ける」という一連の作業。これは今、僕がAI音楽で毎日やっていることと、本質的に何も変わりません。
ステップ3-32:「そんな仕事ねえよ」と言われたことについて
父に「そんな仕事ねえよ」と言われた話は、今でもよく思い出します。
当時の僕は、確かに証明できるものを何も持っていませんでした。同僚に配ったCDが人から人へ渡って、ガソリンスタンドで流れていた。それは事実ですが、ビジネスとして成立するかと言われれば、当時は誰も納得させられなかったと思います。
だから父の反応は、当時としては、ごく普通の反応だったんです。
でも面白いのは、この30年で世界の方が変わったということです。
プレイリストを作る人が影響力を持つようになりました。「この人が選ぶ曲なら聞いてみよう」という信頼が、価値になる時代になりました。音楽の評論家でも、プロデューサーでも、演奏家でもない。ただ「選ぶ」ことで評価される人が、確かに存在しています。
これはつまり、「そんな仕事ねえよ」と言われた仕事が、後から生まれたということです。
僕が言いたいのは、「父が間違っていた」ということではありません。そうではなくて、その時点で存在しない仕事を思いついてしまう人がいて、世界の方が後から追いついてくることがある、ということです。
2007年に「音楽コンサルタント」という肩書きを作った時も、同じでした。「趣味なんでしょ」と言われ続けました。その時も僕は「いや、音楽はビジネスになるんですよ」と言い続けていました。
そして20年近く経って、AIの登場によって、その構想がようやく現実味を帯びてきた。
当時は花開かなかったけれど、夢は消えていなかった。これが、僕がこの記事で一番伝えたいことの一つです。
ステップ3-33:転の章のまとめ ─ 自分のための収集が、他人のための選曲になった
この【転】の章で起きた最大の変化を、もう一度確認しておきます。
それまでの僕の音楽活動は、全部「自分のため」でした。エアチェックも、レンタルCD全借りも、ジャケ買いも、カーオーディオへの投資も、月10万円の出費も。全部、自分が聞くためにやっていたことです。
それが仙台営業所で上司になった瞬間、初めて「他人のため」に音楽を使うことになりました。
そして、そこで気づいたんです。
自分のために集めてきた膨大な知識と経験は、他人のために使った瞬間に、まったく別の価値を持つ。
同じコレクションでも、自分の部屋に置いてあるだけなら趣味です。でもそれを、相手を見て、相手に合わせて、並べ替えて渡した瞬間に、それはコミュニケーションになり、贈り物になり、仕事の種になる。
この転換を経験していたから、僕はAI音楽を始めた時も、迷わず「誰に届けるか」から考えることができました。
そして今、さらに一歩進んで、「選んで届ける」から「作って届ける」に変わったわけです。
【結】55年分の伏線をSunoが回収した ─ Milia誕生とAI音楽ラジオ
ステップ4-1:2024年4月、Sunoとの出会い
そして2024年の4月頃に、音楽生成のSunoと出会いました。
最初は試しに触ってみる程度でした。僕、1曲だけ、今iTunesに登録している曲があるんですけれども、これはこの頃に作った曲なんですね。
でも当時は「面白いでしょう」って言っている程度だったんです。
なぜかというと、ちょっとクオリティが低くてですね。そのままでは使い物にならなくて、編集とかをしなければ全然ダメだったんですよ。
ここが正直なところです。2024年春のAI音楽は、まだ「実験」の域を出ていなかった。だから僕も、それ以上深入りはしませんでした。
ステップ4-2:2024年12月 ─ Suno 3.5から4への進化が転機になった
ところがですね、これがだんだん歌唱が上手になって、楽曲生成能力が上がってきたんです。
「これは使えるんじゃないの」という風に気づいたのが、2024年の12月ぐらいです。
この時にSunoのバージョンが3.5から4に進化しまして、それで普通の音楽の、いわゆる4分とか5分ぐらいの曲というのが、フルで高品質で生成できるようになったんですね。
これは決定的でした。それまでは「断片」しか作れなかったものが、「作品」として成立するようになったわけです。
ステップ4-3:2024年11月29日、Miliaが誕生する
この時にPersonaという機能がありました。今はVoicesという名前になりましたけれども。
これで2024年11月29日に、今の自分を代表するAIシンガーでありますMiliaが誕生したわけですね。
先ほど紹介した宇徳敬子さん、坂井泉水さん、浜田麻里さん。この3つの影響を受けて、自分なりに融合したコンセプトのAIアーティストが誕生することになったわけなんですね。
まもなく2年ですから、Miliaさんも2歳になろうとしていますけれども、こんな感じです。
ステップ4-4:Miliaとの出会いは、「声」との出会いだった
Miliaとの出会いというのは、実は「声」との出会いなんですね。
一番最初にその声を聞いた瞬間に、惚れちゃったんです。
そして、その声を使って多くの人に聞いてもらいたいと思ったのが、きっかけなんです。
ここ、大事なところです。コンセプトを先に作って、それに合う声を探したのではありません。声に出会って惚れて、そこに自分の中にあった3人分の要素が流れ込んでいった。順番としてはそうなんですね。
高校時代、音だけでドラマを聞いて登場人物を想像していた少年が、今度は声だけを聞いて一人のアーティスト像を組み上げた。やっていることは同じなんです。
ステップ4-5:1日2曲という縛り ─ そしてmixi2での日々
それでSunoが出て、2024年12月から始めます。
AIで音楽を作ると、1回に2曲できるんですね。だから「1日2曲作ろう」という風に決めました。
そんな簡単な話じゃなくて、実際は2曲どころかたくさん作っているんだけれども、そこから2曲だけを絞って、みんなに聞かせてあげるということでやっていました。
これが2024年12月からやっていて、ちょうどこの時にmixi2というサービスが始まったので、mixi2の中でその音楽生成AIのコミュニティがあったんですね。そこに入って、その方々に聞いてもらうというぐらいで活動していました。
ステップ4-6:再生回数5回、10回の日々が半年以上続いた
その結果どうだったか。
ほとんど曲が聞かれないで、再生回数も5回とか10回とか、そんなものしかいかないというのが、ずっと続いていたんですね。
これ、大事なので強調しておきたいところです。今でこそランキング上位にいますけれども、最初は誰にも聞かれていないんです。
それが2024年の12月から年を越して、2025年の7月ぐらいまで、正確には6月までですね、そのような形が続いていました。
半年以上、再生回数が一桁台。それでも毎日2曲作り続けていたわけです。
ステップ4-7:2025年7月1日、YouTubeへの配信を開始する
2025年の7月1日から、ちょっと幅を広げようということで、YouTubeに配信するということを始めました。
2025年の7月からで、今ちょっと1年ちょっと経ったことになりますね。
だけど、YouTubeに上げてもほとんど鳴かず飛ばずでした。
再生回数も全然、10回とか20回とかいかないぐらいだったんですね。
プラットフォームを変えても、すぐには変わらなかった。これも正直にお伝えしておきたい事実です。
それでずっと来まして、2025年が終わって2026年になるわけですね。
【表14】Suno活動の時系列
| 時期 | 出来事 | 状況 |
|---|---|---|
| 2024年4月 | Sunoと出会う | クオリティが低く、編集なしでは使えない。試しに触る程度 |
| 2024年11月29日 | AIシンガー「Milia」誕生 | Persona(現Voices)機能を使用 |
| 2024年12月 | Sunoが3.5から4へ。1日2曲の配信を開始 | 4〜5分のフル尺・高品質生成が可能に。mixi2のコミュニティで公開 |
| 2024年12月〜2025年6月 | 再生回数が5〜10回の日々 | ほとんど聞かれない期間が半年以上続く |
| 2025年7月1日 | YouTube配信を開始 | それでも再生回数は10〜20回程度 |
| 2025年12月 | Miliaに毎日1曲歌わせる方針へ | 「Miliaが使えなくなるかも」という噂がきっかけ |
| 2026年頃 | SunoのVoicesの精度が大幅向上 | スタイルを変えても声が変わらなくなる |
| 2026年2月 | AI音楽ラジオ開始、ともみん@JAPANと出会う | Sunoフォロワーは2桁(20〜30人) |
| 現在 | 650日連続・1日2曲、累計約1300曲 | Sunoフォロワー約1800人、総再生回数ランキング12位 |
ステップ4-8:2026年、Voicesの精度が劇的に上がる
2026年になるタイミングぐらいの時に、Sunoのバージョンがまた1つ上がるということがありました。
この時に、今のVoicesという名前ですけれども、この機能の精度がめちゃくちゃ上がったんですね。
これで、声がちゃんと再現できるようになってきたんですよ。
それまでは、スタイルを変えると曲調が変わったりしていたんだけれども、これが変わらないでできるようになったんですね。
これは作る側からすると、本当に大きな変化です。同じキャラクターで、バラードもロックもボサノバも歌わせられる。つまり「一人のアーティスト」として活動させられるようになったということなんですね。
ということで、この頃から良くなってきたんですけれども。
ステップ4-9:「Miliaが使えなくなるかもしれない」という噂
もう1個、2026年になるぐらいの時に言われたことがあります。
この年、2026年から著作権でたくさん訴えられているので、Miliaというボイスは2026年から、もしかしたら使えなくなるんじゃないかという噂があったわけです。
これは、僕にとってかなり深刻な話でした。
Miliaは僕にとって、単なる機能ではなく、一人のアーティストだからです。
ステップ4-10:2025年12月から、毎日1曲をMiliaに歌わせると決めた
なので2025年の暮れぐらいから、「もう思い残すことがないように、いろんな曲をMiliaに歌わせよう」ということにしました。
今までは飛び飛びで、思いついた時にMiliaちゃんの曲を作っていたんだけれども、2025年12月からは毎日1曲ずつ、いろんなテーマで曲を歌わせようと。
だから、ボサノバだったりとか、アカペラだったりとか、いろんな曲を作ってきたんだけれども、こういうことを始めたのは2025年の12月から、これを始めまして。
でもそんなにね、鳴かず飛ばずで来たわけですね。
ここも大事なポイントです。「いつ使えなくなるか分からない」という危機感が、結果としてMiliaの表現の幅を一気に広げることになりました。制約が、逆に多様性を生んだわけです。
ステップ4-11:650日連続、約1300曲
こうして現在は、650日ぐらい連続で、1日2曲の配信を続けていまして、曲数でいうと1300曲ぐらい作っていることになりますね。
650日連続。1300曲。
これは、小学4年生の時に作文を1日200枚、300枚と書いていた人間の延長線上にあると思っています。「量を積む」ということに関して、僕は子どもの頃から一貫しているんですね。
ただし、あの時と違うのは、感性を枯渇させないための対策を意識的に取っていることです。その話は先ほど触れた通りです。
ステップ4-11-2:「1日2曲」というルールの設計意図
この「1日2曲」というルールについても、少し説明しておきます。
これは、Sunoの仕様から来ています。AIで音楽を作ると、1回の生成で2曲できるんですね。だから「1日2曲」という単位が自然に決まりました。
ただ、実際に作っている曲数は2曲ではありません。2曲どころか、たくさん作っています。その中から2曲だけを絞って、みんなに聞かせているわけです。
ここが大事なポイントです。
「2曲作る」のではなく、「たくさん作った中から2曲を選ぶ」。
お気づきでしょうか。これはまさに、仙台営業所時代にやっていたことと同じ構造なんですね。
膨大な母集団から、届ける相手を想定して、絞り込む。1枚74分に12〜13曲を入れるために、何百曲の中から選ぶ。あの時の作業と、今やっていることは、本質的に同じです。
違うのは、母集団が「他人が作った曲」から「自分が作った曲」に変わっただけ。
そして、この「選ぶ」という工程があるからこそ、量を出しても質が保てるんだと思っています。
小学4年生の作文が感性を枯渇させたのは、書いたものを全部そのまま提出していたからです。選ぶ工程がなかった。量がそのまま成果物になっていた。
今は違います。作る量は多いけれど、出すのは絞ったものだけ。この間に「判断」が挟まっているかどうかが、決定的な差なんですね。
【表14-2】作文の大量生産とAI音楽の大量制作の違い
| 項目 | 小学4年生の作文 | 現在のAI音楽 |
|---|---|---|
| 量 | 1日200〜300枚 | 1日で複数曲を生成 |
| 目的 | 枚数の競争に勝つこと | 届けたい曲を見つけること |
| 選ぶ工程 | なし(書いたものを全部提出) | あり(多数の中から2曲に絞る) |
| 相手の想定 | なし(誰に読ませるかは考えていない) | あり(聞いてくれる人を想定して選ぶ) |
| 結果 | 感性が枯渇した | 継続と品質を両立(と信じて対策中) |
ステップ4-12:ここが一番大きい ─ 「選ぶ」から「作る」へ
そしてここが大きいんですけれども。
今までは、誰かが作った曲をセレクトして届けるということをやっていたんですね。仙台営業所で同僚に選曲CDを配っていた、あの頃と同じです。
ところがここに来て、自分で作れるようになったんですね。
作って、その人にプレゼントするということができるようになった。
これは大きいですよね。
40年間、僕は「他人の曲を選ぶ人」でした。それが「自分の曲を作って渡す人」になった。この転換が、僕の人生でどれだけ大きな意味を持つか、ここまで読んでくださった方には伝わるんじゃないかと思います。
「楽器が弾けない」「歌が上手くない」「音楽理論が分からない」。この3つの壁を、AIが取り払ってくれたわけです。
ステップ4-13:2026年2月、AI音楽ラジオの開始
年を越しまして、2026年の2月に、お待たせしました、このAI音楽ラジオを始めることになったわけなんですけれども。
ここで、ともみん@JAPANこと甲斐智美さんと出会ったことによって、僕のAI音楽人生は大きく変わりました。
ステップ4-14:ともみんから教わったこと
彼女の影響で、いろんなことが変わりました。
曲の作り方、詞の作り方、書き方。そしてそのテーマ、世界観、楽曲への取り組み方、曲を作る時の視点ですね。
いろんなことを教えてもらいまして、それを反映させていきました。
SunoPよこたんっていう名前に変えたのも、この時からですね。
それまでの僕は、ネットビジネスアナリストとして音楽をやっている人でした。ここで「SunoPよこたん」という、音楽のための名前を持ったわけです。
ステップ4-15:フォロワー2桁から1800人へ ─ 半年で起きた変化
そこから一気に変わったんですね。
多分ですね、2026年の2月では、僕のSunoのフォロワー数ってまだ2桁ぐらい、20人とか30人しかいなかったと思います。
それが今、1800人なんですね。
なので、まだ半年ぐらいしか経っていないんですよ。
ここまで成長させることはできました。これにはいろんな仕掛けもしましたし、いろんなことにも取り組んできたんですけれども、本当に彼女の影響は大きいですね。
いろんな曲の作り方のアイデアをいただいたり、アドバイスをいただいて、それを全部自分のものにしてきたつもりです。
ともみん、いかがでしょうか。できているでしょうか。僕の音楽が変わっていったのを分かりますか。
彼女が作っている音楽にも影響を受けて、「そっか、曲ってこうやって作ればいいんだ」ということで、いろんなことを教えてもらったりもしました。
それで今があるわけなんですね。本当に感謝しています。ありがとうございました。
【表15】Sunoフォロワー数の変化
| 時点 | フォロワー数 | 主な出来事 |
|---|---|---|
| 2026年2月 | 20〜30人(2桁) | AI音楽ラジオ開始、ともみん@JAPANと出会う。SunoPよこたんに改名 |
| 現在(約半年後) | 約1800人 | 曲づくりの考え方を刷新。総再生回数ランキング12位に |
ステップ4-16:人生を曲にするということ
ということでですね、このような生活をしてくるきっかけとなった出来事を、今日は自分の人生を振り返ってみました。
AI音楽というものがこれからどうなっていくのかということは、まだ未知数でありますけれども。
自分の人生というものを、どのように曲にするか、歌詞にするか、テーマにするかということを、僕はずっとテーマにしています。
もう自分の考えていること、思っていること、自分がやってきたこと、自分が体験したこと、自分が振られたことね、こうしたことを、全部僕は曲にしています。
そしてこれを、自分の気持ちが入っている作品として、世に出していってます。
もちろん、全然関係ない、空想で作った曲もいっぱいあるんですけれども、僕が作った曲も相当たくさんありますので、ぜひその辺も聞いていただければ嬉しいなと思っています。
ステップ4-17:7つの動詞が、すべてAIで一本につながった
改めて整理すると、全ての経験がここで繋がったということなんですね。
小学校の時に詩を書いたり、作文を書いたり、小説を書いたという「書く」ということから始まりました。
今度は音楽を聴くという「聞く」。
聞くためにはいろんなものを集めなきゃいけないので「集める」。
そしてランキングを予想したりする「分析する」。
そこからセレクトする「選ぶ」。
音だけで情景を思い浮かべる「妄想する(想像する)」。
そしてそれを「形にして届ける」。
この活動を、音楽を通してやってきたことが、全てAIで今回生み出すことができるようになった。
だから2024年からいきなり始まったものではなくて、この自分の人生経験全てが、今回繋がってきているんですね。
【表16】7つの動詞と、その出どころ・今の役割
| 動詞 | 育った時期 | 具体的な経験 | AI音楽での役割 |
|---|---|---|---|
| 書く | 小学校低学年〜4年生 | 詩集づくり、1日200〜300枚の作文 | 作詞、テーマ設定 |
| 聞く | 小学生〜現在 | FEN、ランキング番組、40年間の聴取 | 自分の中のラージランゲージモデル/ラージメロディモデル |
| 集める | 高校〜社会人 | エアチェック、レンタル全借り、ジャケ買い | 引き出しの多さ、ジャンル横断の対応力 |
| 分析する | 中学1年〜現在 | ランキング予想、複数データの総合評価 | 何が聴かれるかの読み、企画設計 |
| 選ぶ | 仙台営業所時代 | 相手に合わせた選曲CD制作 | 曲の絞り込み、届ける相手の想定 |
| 妄想する(想像する) | 高校3年間 | 音だけでテレビドラマを聴く | 歌詞から映像を立ち上げる力 |
| 届ける | 仙台〜現在 | 選曲CDの配布、YouTube・Suno配信 | 発信、ファンとの関係づくり |
ステップ4-18:55年分の伏線を、Sunoが回収した
だから僕はこう言いたいんです。
55年分の伏線を、Sunoが回収した。
Sunoが才能を突然くれたのではなくて、55年の経験を「使える形」にしてくれたんだと。
これはやっぱり感謝しなきゃいけないことだなと思っています。
よく「AIを使えば誰でも音楽が作れる」と言われます。それは半分正しくて、半分は違うと思っています。
確かに、誰でも曲の形にはできます。でも、何を作るか、誰に届けるか、どんな世界観にするか。そこは結局、その人がそれまでの人生で何を見て、何を聞いて、何を感じてきたかで決まるんですね。
AIは、あなたが持っていないものを与えてはくれません。でも、あなたがすでに持っているのに形にできなかったものを、形にしてくれます。これは全然違うことなんです。
ステップ4-19:自分だけのラージランゲージモデルを作ってほしい
はい。ということで今日は1時間ぐらいにわたりまして、僕のAI音楽を作るルーツというものを紹介いたしました。
ぜひね、このように1回、自分の人生の音楽との関わり方というのを、こういう風に洗い出しをしてもらったら、皆さんのそこに強みが分かってくると思います。
ぜひラージランゲージモデルを自分用のものを作るとか、ラージメロディモデルを作るとかということも、ぜひそれがですね、自分の財産となって、自分のオリジナルとして世に出していけます。
やり方は簡単です。紙とペンを用意して、幼稚園から今日までを年代ごとに区切って、「その時、どんな音楽が周りにあったか」「誰の影響を受けたか」「何をしていたか」を書き出していく。それだけです。
そうすると必ず、自分だけのパターンが見えてきます。僕の場合は「書く」「聞く」「集める」「分析する」「選ぶ」「妄想する」「届ける」の7つでした。あなたの場合は、また違う動詞が出てくるはずです。
ステップ4-20:歌えない、弾けない、理論も分からない。それでも12位
今日、冒頭に話しましたけれども、僕はもともと歌は上手ではないし、今でも上手ではないし、楽器は演奏できないし、音楽理論は一切分かりません。
そんな人間でも、今Sunoの音楽生成ランキングで、総再生回数ランキングで今12位まで来ているんです。
なぜか。
全てその自分の、形にするものを表現することができているからなんですね。
技術ではなく、表現するものを持っているかどうか。それが今、問われている時代になったということだと思います。
ステップ4-21:今がチャンスである理由
そして、これはチャンスでもあるんですね。
ここにまだ、ミュージシャンとかすごい人が入ってきていないから、僕はこの位置にいるんであって、本物が入ってきたら僕なんかは吹っ飛ぶわけですよ。
でも、今そのぐらい可能性があるんです。
だから、昔音楽が好きだったけど、やっぱり学業を優先して断念したとか、ミュージシャンになろうと思っていたけど結局無理で諦めたとか、そういう人も、今40代50代の人もですね、まだチャンスがあります。
ステップ4-22:AIは過去を無駄にしない
AIは過去を無駄にしないんですね。経験は未来の才能へ変わるんです。
小さい時に音楽家になりたかった、ミュージシャンになりたかった、もしくはバンドで成功したかった。だけど勉強があるとか、仕事があるとか、お金がないとか、親が厳しいとか、いろんな理由でできなかった方がいっぱいいらっしゃると思うんですよ。
僕もそうです。
テレビ禁止の家で育って、お小遣いをもらったことがなくて、兄のラジカセをこっそり借りて、自作のAMラジオでランキングをメモしていた少年です。合唱団に入っても歌は上手くならず、カラオケは2曲で声が枯れる。楽器も弾けない。
だけどこれが今、AI音楽によってもう1回できるんですね。
今だから時間があるし、今だからちょっとお金がある。だからできるじゃないかということをね、皆さんに気づいて欲しいんですね。
チャンスですよ。
昔の全てが、今の1曲につながっていきますので。音楽でもっと自由な世界を作るということですね。
ステップ4-22-2:40代・50代こそ有利だと思う理由
「今からじゃ遅い」と思っている方に、もう少しだけ言わせてください。
僕は、40代・50代こそ有利だと本気で思っています。理由は3つあります。
理由1:インプットの量が違う
20代の方が持っている音楽体験と、50代が持っている音楽体験では、単純に年数が倍以上違います。40年分の曲を聴いてきた人と、15年分の人。引き出しの数が違うのは当然です。
そして、この記事でずっと書いてきた通り、AI音楽で問われるのは技術ではなく引き出しです。何を作りたいか、どんな世界観にしたいか、それをどう言葉にするか。全部、これまでに何を浴びてきたかで決まります。
理由2:語るべき人生がある
歌詞というのは、結局その人が何を経験したかから出てきます。
失恋も、挫折も、諦めも、和解も、別れも、後悔も。40年、50年生きていれば、そういうものが必ずあります。若い頃には書けなかったことが、今なら書ける。
僕自身、両親を見送って初めて自分の人生を振り返って、「自分を象徴する1曲は尾崎豊の『卒業』だ」と気づきました。これは20代の僕には絶対に分からなかったことです。
理由3:時間とお金の自由度がある
僕は高校まで、お小遣いをもらったことがありませんでした。だから音楽を買えなかった。聞けなかった。やりたくてもできなかった。
でも今は、多少なりとも自分で使えるお金があります。時間の使い方も自分で決められます。
若い頃に「お金がない」「親が厳しい」「勉強がある」という理由で諦めたことを、今なら自分の判断でやれるんです。
つまり、当時なかったものが今はあり、今しかないものを当時は持っていなかった。この2つが揃うのが、40代・50代というタイミングなんですね。
「もう遅い」ではなく、「今だからできる」。ここを、ぜひひっくり返して考えてみてほしいんです。
ステップ4-23:ここからもう一花咲かせましょう
ここからもう一花咲かせましょうと。人生ね、まだ色々できますよ。
逆に、その経験が全て皆さんの曲になって返していくことができますので、それらをね、今見た僕みたいにこう洗い出ししてみてください。
そうすると、それに共感する人がたくさん現れてくるんじゃないかなと思いますので、そういう活動をね、一緒にしていきましょう。
それのサポートをすることが僕もできたら嬉しいなと思っていますので、また引き続きAI音楽ラジオも頑張ってやっていきたいと思っていますので、よろしくお願いいたします。
これからは提案をしたり、学びたい人に教えるような講座もやっていきたいなと思っていますので、興味ある方はぜひ僕のYouTubeだったりSNSだったりをフォローして、また情報発信を受け取っていただければと思っています。気になる方はLINEなんかで友達追加してもらってもいいかなと思ってます。
はい、ということで、1時間ぐらいにわたりましてお話しさせていただきました。以上で終わりたいと思います。
AI音楽ラジオ、SunoPよこたんでした。ではまた次回お会いしましょう。ありがとうございました。バイバイ。
ステップ4-24:補足 ─ 「鳴かず飛ばずの期間」をどう過ごすか
ここまで話してきて、一番大事なのに一番目立たない部分があるので、最後に補足しておきたいと思います。
それは、再生回数が5回や10回だった期間のことです。
改めて時系列を追ってみてください。2024年12月に1日2曲の配信を始めて、2025年6月まで。半年以上、再生回数は一桁です。2025年7月1日にYouTubeを始めても、10回とか20回に届かない。
つまり、実質1年近く、ほとんど誰にも聞かれていなかったわけです。
普通なら、やめます。
でも僕はやめませんでした。なぜか。
理由はいくつかあります。一つは、そもそも「再生されるために」始めたわけじゃないからです。Miliaの声に惚れて、この声で曲を作りたいと思った。その動機は、再生回数がゼロでも成立します。
もう一つは、僕がもともと「聞かれない期間」に慣れていたからだと思います。40年間、僕はずっと一人で音楽を集めていました。誰も褒めてくれないし、誰の役にも立たない。中古CDショップで背表紙を1枚ずつ見て、紙のリストを1行ずつ読んで、月10万円を使う。それを誰にも評価されずにやり続けてきたんですね。
だから、再生回数が5回でも、僕にとっては「いつも通り」だったんです。
そして3つ目。これは僕の経歴そのものなんですが、僕はブログを6500日以上、毎日更新し続けています。続けることの価値と、続けた先にしか見えない景色があるということを、身をもって知っているんですね。
半年、1年、数字が動かない。これは異常なことではありません。むしろ普通です。そこでやめるかどうかで、結果が分かれるだけなんです。
ステップ4-25:補足 ─ 「ともみん」との出会いが何を変えたのか
もう一つ補足しておきたいのが、2026年2月のことです。
数字だけ見れば、この月が転換点です。フォロワー20〜30人が、半年で1800人になった。その起点がここです。
では、何が変わったのか。
技術的なことではありません。Sunoの使い方を教わったわけでもありません。
変わったのは、曲に対する向き合い方そのものでした。
ともみん@JAPAN(甲斐智美さん)から教えてもらったのは、曲の作り方、詞の作り方や書き方、テーマの立て方、世界観の作り方、楽曲への取り組み方、そして曲を作る時の視点です。
これは、つまり「何を作るか」の部分なんですね。
それまでの僕は、正直に言えば、AI音楽を「技術として面白いもの」として扱っていた部分がありました。こういう指示を出すとこういう曲ができる、という実験に近い感覚です。ネットビジネスアナリストとしての癖ですね。
そこに「この曲で何を伝えたいのか」「誰に向けた曲なのか」「どんな世界を見せたいのか」という視点が入ってきた。
その結果、僕の曲は変わりました。そして数字も変わりました。
「SunoPよこたん」という名前に変えたのも、この時です。これは単なる改名ではなくて、「音楽をやる人としての自分」を正式に立てた、という意味があります。
人が変わる時というのは、だいたい人との出会いがきっかけです。これは僕の人生で何度も起きていることで、中学1年でカセットをくれた友達、高校で尾崎豊を教えてくれた女の子、仙台で選曲CDを受け取ってくれた同僚、そしてともみんさん。
自分ひとりで積み上げたものは、誰かとの出会いで初めて形になる。これも55年で学んだことの一つです。
ステップ4-26:補足 ─ AIが「できないこと」は何か
最後にもう一点だけ、大事なことを。
僕はこの記事で「AIは過去を無駄にしない」と書きました。これは本心です。でも同時に、AIにできないこともはっきりさせておきたいと思います。
僕の中には、40年分の歌詞とメロディが入っています。それを僕は「自分のラージランゲージモデル」「自分のラージメロディモデル」と呼んでいます。
じゃあ、AI音楽が同じことをできるかというと、これはできないんですね。
AIは、僕が何十年もかけて、演歌もアイドルもロックもポップスも全部聴いて、レコード店の店頭でライブ映像を食い入るように見て、中古CDの背表紙を1枚ずつ眺めて、ジャケットとレーベルとスペシャルサンクスから当たりをつけて、数万円出してインディーズ盤を買って、その全部を通して形成された「僕という個体の偏り」を持っていません。
オリジナルを作れないんですね。
ここはやっぱり、財産だと思っています。
だから僕は、AI音楽を「AIが曲を作ってくれるもの」とは思っていません。自分の中にあるものを、AIという道具で外に出すものだと思っています。
そう考えると、やるべきことははっきりします。道具の使い方を磨くのと同じくらい、いや、それ以上に、自分の中に何が入っているかを確かめて、増やしていくこと。
それが、55年かけて僕がたどり着いた結論です。
【表17】AIができること・できないこと
| 項目 | AIができること | AIにできないこと(人間が持ち込むもの) |
|---|---|---|
| 演奏 | 楽器の演奏、アレンジ、ミックス | ─ |
| 歌唱 | 高品質なボーカル生成、多ジャンル対応 | ─ |
| 音楽理論 | 理論に沿った楽曲構成の生成 | ─ |
| テーマ | 与えられたテーマの展開 | 何を伝えたいか、なぜそれを歌うのか |
| 世界観 | 指示に基づく世界観の表現 | その人固有の人生経験から生まれる固有の偏り |
| 届ける相手 | ─ | 誰に届けるか、その人が何に反応するかの推定 |
| 蓄積 | 学習データ全体の平均 | 40年分の個人的な聴取体験、失恋、憧れ、挫折 |
ステップ4-27:実践編 ─ あなたの55年を洗い出す5ステップ
「洗い出してみてください」と言われても、どこから手をつけていいか分からないという方もいらっしゃると思います。なので、僕がやったことを手順として整理しておきます。
第1ステップ:年代で区切る
幼稚園、小学校低学年、小学校高学年、中学、高校、大学、社会人になりたて、30代、40代、50代。このぐらいの粒度で区切ります。僕の場合は、この区切りがそのままこの記事の構成になっています。
第2ステップ:各年代で「音楽がどこから来たか」を書く
自分で選んで聞いたのか、親が聞いていたのか、友達に教わったのか、テレビやラジオから流れてきたのか。僕の場合、小学校時代は「母がFENを聞いていたから」でした。中学は「友達がカセットをくれたから」。高校は「兄のラジカセを借りて自分で録ったから」。
ここを書くと、自分がどのタイミングで「受け身」から「能動」に変わったかが見えてきます。
第3ステップ:各年代で「誰に影響を受けたか」を書く
アーティストでも、友達でも、家族でも構いません。そして名前を書いたら、必ずその横に「その人の何に惹かれたのか」を書いてください。ここが一番重要です。
僕の場合は、宇徳敬子さん=性格、坂井泉水さん=ビジュアルと透明感と言葉、浜田麻里さん=楽曲性、というところまで分解できたから、Miliaという形になりました。名前だけ書いて終わりにすると、ただのファンリストになってしまいます。
第4ステップ:音楽と関係ない経験も書く
これを忘れないでください。僕の場合、15年間の講演業が喉と発声を鍛えていました。営業で東京から青森まで700kmを運転していたことが、膨大な聴取時間を生んでいました。中学のランキング予想が、アナリストの仕事につながっていました。
一見無関係な経験ほど、あとで効いてきます。
第5ステップ:繰り返し出てくる「動詞」を探す
全部書き出したら、俯瞰して眺めてみてください。必ず、形を変えて何度も出てくる行動があります。
僕の場合は7つでした。書く、聞く、集める、分析する、選ぶ、妄想する(想像する)、届ける。
あなたの場合は違う動詞が出てくるはずです。「教える」かもしれないし、「つなぐ」かもしれないし、「直す」かもしれない。その動詞こそが、あなたの強みの正体です。
【表18】人生の棚卸しシート(記入例)
| 年代 | 音楽の入り口 | 影響を受けた人 | 何に惹かれたか | 音楽外の経験 |
|---|---|---|---|---|
| 小学校 | 母のラジオ(FEN) | ビートルズほか洋楽 | 知らない言語の音の響き | 詩集づくり、作文の大量執筆 |
| 中学 | 友達のカセット、自作AMラジオ | チェッカーズ、中森明菜ほか | 順位が動く面白さ | ランキング予想ゲーム |
| 高校 | エアチェック、レコード店の店頭 | BOØWY、氷室京介、尾崎豊 | サウンドの衝撃、自由への渇望 | 音だけでドラマを聞く3年間 |
| 大学 | レンタルCD、カーオーディオ | ビーイング系、TM NETWORK、浜田麻里 | メロディ、楽曲性、透明感 | グリークラブ、カラオケ |
| 社会人 | 中古CD、ジャケ買い | 己龍、BAND-MAID | 和のテイスト、女性バンドの強度 | 営業の長距離運転、選曲CD制作 |
| 起業後 | サブスク、そしてSuno | ともみん@JAPAN | 曲への向き合い方 | 講演業15年、ライブ配信、ブログ毎日更新 |
ステップ4-28:結の章のまとめ ─ 点は、後からしか線にならない
この【結】の章で起きたことを、一言でまとめます。
点が、線になった。
小学校の詩集も、作文200枚も、FENの洋楽も、自作AMラジオも、エアチェックも、音だけのドラマも、BOØWYも、尾崎豊も、レンタルCD全借りも、カーオーディオも、中古CDのジャケ買いも、選曲CDも、音楽コンサルタントという肩書きも。
その時々では、全部バラバラの点でした。何かにつながると思ってやっていたことは、ひとつもありません。
それが2024年、Sunoという道具が現れた瞬間に、一本の線になった。
ここで大事なのは、線になるかどうかは、後からしか分からないということです。
だから僕は、皆さんにこう言いたいんです。今やっていることが何かにつながるかどうか、今悩んでも答えは出ません。でも、点を打っていなければ、線になりようがない。
僕は55年分の点を打ってきました。打っている時は、ただの趣味であり、ただの散財であり、「そんな仕事ねえよ」と笑われるものでした。
それが今、1300曲になっています。
ステップ4-29:これから僕がやろうとしていること
最後に、これからのことを少しだけ書いておきます。
僕がこれからやりたいのは、提案をすることと、学びたい人に教えるような講座をやることです。
なぜ教えたいのか。
理由はシンプルで、この記事に書いたようなことを、一人で気づくのは難しいからです。
僕自身、自分の人生と音楽の関係をここまで整理できたのは、両親を見送って、詩集が戻ってきて、AI音楽ラジオという場ができて、ともみんさんと出会って、ようやくのことでした。55年かかっています。
でも、やり方さえ分かっていれば、もっと早くできるはずなんですね。
「昔音楽が好きだったけど諦めた」という人は、本当にたくさんいらっしゃると思います。勉強があった。仕事があった。お金がなかった。親が厳しかった。
その方たちが、自分の人生を洗い出して、自分の強みを見つけて、それを曲にして世に出す。そのサポートができたら、僕は嬉しいです。
そして何より、そうやって出てきた曲には、必ず共感してくれる人が現れます。人生をかけて積み上げたものから生まれた曲は、絶対に誰かに刺さるからです。
ここからもう一花、一緒に咲かせましょう。
興味がある方は、ぜひYouTubeやSNSをフォローして、情報を受け取っていただければと思います。LINEで友達追加していただくのもいいかなと思っています。
AI音楽ラジオも引き続き頑張っていきますので、よろしくお願いいたします。
おわりに
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
今日お話ししたのは、2024年にAI音楽を始めた男の、その手前にある55年間の話でした。小学校の詩集と作文。テレビ禁止の家で聞いたFENの洋楽。中学1年で自作したAMラジオとランキング予想。高校のエアチェックと、音だけで聞いたテレビドラマ。BOØWY、氷室京介、尾崎豊「卒業」。大学のレンタルCD全借り生活とカーオーディオ。社会人になってからの中古CD発掘と、月10万円の投資。仙台営業所での「ラ・リ・ル・レ・ロ」選曲CD。そして2007年に作った「音楽コンサルタント」という肩書き。
これらが全部、2024年11月29日に生まれたAIシンガーMiliaと、650日連続・約1300曲という今につながっています。
Sunoが才能を突然くれたわけではありません。55年分の経験を、使える形にしてくれただけです。だからこれは僕だけの話ではなく、読んでくださっているあなたにも同じことが起きるはずなんですね。
AIは過去を無駄にしません。経験は未来の才能に変わります。ぜひご自身の人生を一度、音楽という軸で洗い出してみてください。
まとめ
全体を貫くメッセージ
- AI音楽は突然始まったものではない。 2024年のSuno開始は出発点ではなく、55年分の積み重ねが「使える形」になった到達点である。
- キーワードは5つ。 「書く」「聞く」「集める」「想像する」「届ける」。ここに「分析する」「選ぶ」を加えた7つの動詞が、人生のあらゆる場面で繰り返し登場している。
- Sunoが才能をくれたのではない。 55年の経験を使える形に変換してくれただけである。逆に言えば、変換すべき経験を持っている人ほど強い。
少年時代 ─ 書くことと、聞くことの原点
- 小学校低学年で詩集を制作。「猿のお尻が赤いのは、木から落ちて尻もちをついたから」という詩を書き、父から「大人になったら1冊の本にしたら」と言われた。
- その詩集は長年行方不明だったが、父の死後、書斎の机の右袖・一番上の鍵付き引き出しから発見され、手元に戻ってきた。後年、この詩は実際に曲になった。
- 小学校4年生、作文を綴じて厚みを競うクラスの慣習に負けず嫌いが発動。最終的に1日200〜300枚を書くまでになった。
- その反動で「思い詰めずにすぐ字にする」癖がつき、感性が枯渇。以降は国語が苦手になり理系へ進む。
- この経験が、現在の「1日2曲制作で感性が枯渇しないか」という警戒心と、感性を磨くための対策につながっている。
- 我が家はテレビ禁止。音楽は、山口県岩国市の米軍基地向けラジオ局FENを母が聞いていたことから入ってきた。ビートルズ、マイケル・ジャクソン、ボン・ジョヴィ、ビリー・ジョエル、ワム。
- 土曜の午後1時から邦楽、午後2時から洋楽というランキング番組が、数少ない音楽接点だった。
- 中学1年、友達がレンタルレコードをカセットに録音してプレゼントしてくれたことで、初めて邦楽を自分のテープで聞けるようになった。
- 友達同士でザ・ベストテンやザ・トップテンの順位を予想するゲームが流行(チェッカーズ、中森明菜の時代)。予想精度を上げるため、技術家庭科で自作したAMラジオで情報を集めた。
- 有線ランキング、オリコンランキング、ラジオのリクエストランキングをメモし、総合評価をつけて順位を予測。よく当たっていた。これが現在のアナリスト業の原点。
- お小遣いは人生で一度ももらったことがなく、自分のお金で物を買えたのは大学のアルバイト以降。
高校・大学時代 ─ 想像する力と、Miliaの設計図
- 兄のラジカセを、兄が不在の間だけこっそり借りて聞く生活。これによりFMラジオが聞けるようになった。
- エアチェックを開始。録音ボタンを押して一時停止で待機し、曲紹介の瞬間に解除する。90分カセットにヒット曲を溜めていった。
- フル尺で流す番組を選別し、途中でフェードアウトしてアナウンサーの声が入るものは避けるという、独自のノウハウを蓄積。
- FMラジオのテレビ音声チューナーで、テレビドラマを音だけで視聴。誰が誰に話しているか、場所はどこかを効果音や環境音から推理し、映像を頭の中で組み立てた。これを高校の3年間続けた。
- この「音だけで想像する」訓練が、現在の「歌詞から映像を思い浮かべて曲を作る」力の原点になっている。読者にも強く推奨。
- 高校でBOØWYに衝撃。自宅にビデオデッキがないため、レコード店の店頭で流れるライブ映像を食い入るように見ていた。
- BOØWYを聞かせた友人がはまり、当時「不良の音楽」というイメージだったことから、その友人は不良の道へ。音楽が人生を変えることを実感した出来事。
- クリスマスイブのBOØWY解散ライブはチケットが取れず。人生初のライブはソロになった氷室京介の引退ラストライブ。初めて自分のお金で買ったCDも氷室京介「CRIME OF LOVE」。
- 好きだった女の子の影響で尾崎豊を聞き、「卒業」の「支配からの卒業」「自由になりたかった」という言葉に決定的な影響を受けた。自分を象徴する1曲だと気づいたのは、両親が亡くなった3年ほど前。
- 受験期はBUCK-TICKとUP-BEATが支えに。緊張をほぐす用途と、深夜の眠気覚まし用途で使い分けていた。
- 大学入学とアルバイト開始で音楽収集が加速。レンタルCD店のベスト30・ベスト50をジャンル問わず1位から全部借りて録音する生活を、18歳から約30年間続けた。
- 媒体はカセット→MD→iTunes→サブスクと変遷。サブスクの登場で収集は終了したが、10年ほど前まではレンタル生活が続いていた。
- 演歌、アイドル、ロック、ポップスを問わずヒット曲を全て聴いた蓄積が、自分の中の「ラージランゲージモデル」「ラージメロディモデル」になっている。AIには作れないオリジナリティの源泉。
- 大学3年で一人暮らしを始め、初めて自分のテレビを所有。ミュージックビデオと音楽番組の録画コレクションを開始(VHSで大量に現存、再生機器がなく視聴不可)。
- 兄が所属していた広島大学の男性合唱団グリークラブに勧誘され入部。カラオケが上手くなりたい一心だったが、上手くはならなかった。
- 喉が弱く、カラオケ1〜2曲で声が枯れる体質。小学4年の生徒会選挙で当選挨拶ができなかった経験もある。講演業が本格化した2011年頃からカラオケを封印。
- ところが昨年末に久々に歌ったところ、声が枯れなくなっていた。15年の講演生活(毎日2〜3時間の発話)と2010年頃からのライブ配信で、喉と発声が鍛えられていた。
- 母から譲り受けた車のカーオーディオに多額を投資。CDチェンジャー、MDチェンジャー、ウーハー、リアスピーカー。ブランドはADDZEST(アゼスト/かつてクラリオンが展開した高級カーオーディオ・カーナビブランド)。
- ビーイング系(B’z、ZARD、WANDS、T-BOLAN、REV、FIELD OF VIEW)とTM NETWORK・小室哲哉のTKサウンドを愛聴。FIELD OF VIEWは30年ぶりに世界的な再ブレイク中。
- 最初に好きになった女性ボーカリストは、Mi-Keの宇徳敬子さん。Mi-Keは「おどるポンポコリン」で有名なB.B.クィーンズのバックコーラス3人組が独立して誕生したグループ。
- 今でも一番好きなアーティストは浜田麻里さん。最近40周年のベストアルバムをリリース。
Miliaの設計図(最重要ポイント)
- 性格・雰囲気=宇徳敬子さん。 優しさ、温かさ、包み込むような世界観。
- ビジュアル・透明感=坂井泉水さん。 凛とした美しさ、透明感、作詞家としての言葉の力。ポニーテールの見た目もここから。
- 楽曲性=浜田麻里さん。 ヘヴィメタル/ロック、力強さ、情熱、ドラマチックなサウンド。
- 倉木麻衣さんのビジュアル要素も入っている。
- 重要なのは「誰が好きか」ではなく「その人の何に惹かれたのか」。そこを分解したものがAIシンガーの設計図になった。
- この3要素の組み合わせは、大学時代にはすでに構築されていた。つまりMiliaの設計図は30年前に完成していた。
男性ボーカリストからの影響
- 尾崎豊、徳永英明、浜田省吾の3人から、孤独、男性側の心情、片思いといった世界観を受け継いでいる。
- 徳永英明さんは、母が息子の影響でファンになったという思い出もある。
- そのほかのベースとなった人たち:氷室京介、BUCK-TICK、BOØWY、L’Arc〜en〜Ciel、TM NETWORK・小室哲哉、B’z、X JAPAN、THE BLUE HEARTS、シャ乱Q・つんく♂。
社会人時代 ─ 集めるから、届けるへ
- 父の会社に入社し、営業職として東京営業所へ。学生時代の車は廃車になったが、スピーカーとオーディオは営業車に移設した。
- 1994年から営業車にMDチェンジャーとCDチェンジャーを搭載。東京から青森まで約700km、7〜8時間走りっぱなしの移動中、ずっと音楽を聞いていた。
- 営業先の中古CDショップを訪問し、「あ」から「わ」まで背表紙を1枚ずつ確認。知らないアーティストを探すジャケ買いを開始。
- 判断材料はジャケット、レーベル、裏面のスペシャルサンクス。「この事務所系ならいい曲がありそう」と推理する、Spotifyのおすすめ機能を人力でやっていたような行為。
- ビジュアル系インディーズにはまり、BUCK-TICK、X JAPAN、MALICE MIZER、DIR EN GREYと追いかけた。ビジュアル系インディーズはほぼ全て所有。
- L’Arc〜en〜Cielの有名になる前のインディーズ時代、ライブ会場配布のCDを数万円で購入。
- インターネット普及前は、中古CDショップから紙の一覧が郵送されてきた。小さな字の1行ずつを読んで注文する方式。
- 結婚後、妻に給料と生活費から貯金額の不一致を指摘され、音楽への投資を白状。月10万円×12ヶ月×10年で1000万円以上を投じた計算。
- 現在の所蔵:カセットテープ数百本、CD数百枚、MD数百枚、さらにVHS映像。これが自分自身の音楽アーカイブになっている。
- 東京5年の後、仙台営業所を立ち上げ、営業所長に。初めて上司になり、音楽でコミュニケーションを取ることを考えた。
- 相手の好みに合わせたオリジナル選曲CD「マイベストカラオケ」シリーズを制作。ラ・リ・ル・レ・ロの5企画(ラッフィン=笑える曲/リッスン=みんなが好きそうなヒット曲/ルッキン=注目の新しいアーティスト/レッスン=カラオケで一緒に歌う曲/ロッキン=自分のロック)。1枚74分・12〜13曲、10セット以上を制作。
- そのCDが人から人へ渡り、あるガソリンスタンドでBGMとして流れていることを知る。
- 「選曲を仕事にしたい」と父に相談したが「そんな仕事ねえよ」と笑われた。30年後、それはDJ・プレイリスト職人・インフルエンサーとして実在する仕事になっている。
- 妻、義理の母、長男にもオリジナルCDを制作。息子からはリクエストが届くようになり、親子間の音楽コミュニケーションが成立した。
- ここでの学び:「作れなくても、選んで届けることはできた」。 聞いて、選んで、並べて、届けることで、音楽は人と人をつないでくれた。
- 結婚して新潟へ。以降で強烈に記憶に残っているのは2組のみ。和製ホラーのビジュアル系バンド己龍(曲名も歌詞も日本語中心、和楽器を取り入れる)と、女性5人組ロックバンドBAND-MAID(BABYMETALの後発として世界で注目)。
- 浜田麻里さんは「Return to Myself」以降ポップ路線に移行して一度離れたが、ヘヴィメタルに回帰したことで再燃。現在最も好きなアーティストであり、その音楽性がMiliaに反映されている。
- レコード→カセット→CD→MD→iTunes→サブスクという全てのメディア変化を、40年間リアルタイムで経験してきた。
- 2007年の起業時、ネットビジネスアナリスト・電脳アイデア泉人に加えて「音楽コンサルタント」という3つ目の肩書きを作り、音楽コンサルタント協会の公式サイトまで立ち上げた。ミュージシャンのSNS活用セミナーや、企業の音楽活用コンサルを構想。
- しかし仕事はほとんど来ず、「趣味なんでしょ」と言われ続けた。それでも「音楽はビジネスになる」と言い続けていた。当時は花開かなかったが、夢は消えていなかった。
Suno、Milia、そして今
- 2024年4月にSunoと出会うが、当時はクオリティが低く、編集なしでは使えなかった。iTunesに登録している1曲がこの頃の作品。
- 2024年12月、Sunoが3.5から4へ進化。4〜5分のフル尺・高品質生成が可能になり、「これは使える」と判断。
- 2024年11月29日、Persona機能(現Voices)でAIシンガーMiliaが誕生。まもなく2歳。
- Miliaとの出会いは「声」との出会い。最初に声を聞いた瞬間に惚れ、その声を多くの人に聞いてもらいたいと思ったのがきっかけ。
- 2024年12月から1日2曲の配信を開始。当初はmixi2の音楽生成AIコミュニティが発表の場で、再生回数は5〜10回程度だった。
- 2025年7月1日からYouTube配信を開始。それでも再生回数は10〜20回に届かない日々が続いた。
- 2026年頃、SunoのVoicesの精度が大幅に向上。スタイルを変えても声が変わらなくなり、一人のアーティストとして多ジャンルを歌わせられるようになった。
- 2026年から著作権訴訟が増え、Miliaのボイスが使えなくなるかもしれないという噂が流れた。そこで2025年12月から、悔いが残らないよう毎日1曲、ボサノバやアカペラなど様々なテーマでMiliaに歌わせる方針に切り替えた。
- 現在は650日ほど連続で1日2曲を配信し、累計約1300曲を制作。
- 最大の変化は、「他人の曲を選んで届ける」から「自分の曲を作って届ける」へ転換できたこと。
- 2026年2月にAI音楽ラジオを開始し、ともみん@JAPAN(甲斐智美さん)と出会う。曲の作り方、詞の書き方、テーマ、世界観、取り組み方、視点を学び、AI音楽人生が大きく変わった。「SunoPよこたん」に改名したのもこの時。
- 2026年2月時点でSunoのフォロワーは20〜30人。そこから約半年で1800人まで成長した。
- 現在、Sunoの総再生回数ランキングで12位。歌は上手くなく、楽器も弾けず、音楽理論も分からない人間がこの位置にいる。
- 7つの動詞「書く」「聞く」「集める」「分析する」「選ぶ」「妄想する(想像する)」「届ける」が、全てAIで一本につながった。
- 55年分の伏線をSunoが回収した。 Sunoが才能を突然くれたのではなく、55年の経験を使える形にしてくれた。
- AIは過去を無駄にしない。経験は未来の才能へ変わる。 学業や仕事、お金、家庭の事情で音楽を諦めた40代・50代にも、今こそチャンスがある。
- 読者への提案:自分の人生と音楽の関わりを一度洗い出し、自分専用のラージランゲージモデル/ラージメロディモデルを作ってほしい。それが自分の財産であり、オリジナリティになる。
- 今後は提案や講座も展開予定。YouTube、SNS、LINEでの情報発信を継続していく。
よくある質問(Q&A)
Q1. 楽器も弾けず、歌も上手くなく、音楽理論も分からない自分が、本当にAI音楽で通用するのでしょうか?
A. これはまさに僕自身のことなので、はっきりお答えできます。僕は歌が上手ではありませんし、今でも上手ではありません。楽器は演奏できません。音楽理論は一切分かりません。それでもSunoの総再生回数ランキングで12位まで来ています。
なぜかというと、AI音楽で問われているのは「演奏技術」ではなく「表現したいものを持っているか」だからです。AIは、あなたが持っていないものを与えてはくれません。でも、あなたがすでに持っているのに形にできなかったものを、形にしてくれます。ここが決定的に重要なところです。
僕の場合、40年以上かけて、ジャンルを問わずヒット曲を全部聴き続けてきました。演歌も、アイドルも、ロックも、ポップスも。その膨大なインプットが、自分の中の「ラージランゲージモデル」であり「ラージメロディモデル」になっています。歌詞を書く時は今まで聴いてきた歌詞が出てきますし、メロディを口ずさむ時は頭の中にあるメロディが組み合わさって出てきます。これは技術ではなく、蓄積です。
そして蓄積は、誰にでもあります。あなたが10代の頃に夢中になった音楽、通学路で聞いていた曲、失恋した時に何度もリピートした一曲。それは全部、あなただけのデータです。楽譜が読めるかどうかとは、まったく別の話なんですね。
むしろ僕は、今この時期だからこそチャンスだと思っています。本物のミュージシャンや音楽のプロがまだ本格的に参入してきていないから、僕のような人間がこの位置にいられるわけです。彼らが入ってきたら、僕なんて吹っ飛びます。だからこそ、迷っている時間がもったいない。まずは1曲作ってみてください。
Q2. 「感性が枯渇する」という話が印象的でした。1日2曲も作っていて、本当に大丈夫なのでしょうか?
A. 正直に言うと、これは僕が今、一番恐れていることです。
小学校4年生の時、クラスで作文の枚数を競う競争があって、僕の負けず嫌いが発動して、最後は1日200枚、300枚と書いていました。もうネタがないので「これが200枚目の作文です」というような、どうでもいい内容です。その結果、頭の中で思い詰めることをせずに、すぐ字にして出してしまう癖がついてしまい、感性が枯渇したと両親が後に語っていました。実際、この頃から僕は国語が苦手になり、理系に進むことになります。
今の僕は1日2曲を作っています。構造としては、あの作文と同じことをやっているわけです。だから同じことが起きるんじゃないか、という危機感は常に持っています。
対策としては、量を出すことと同じくらい、インプットと熟成の時間を意識的に確保するようにしています。具体的な方法については、AI音楽ラジオで「今、僕が感性を磨くためにやっていること」という回をお話ししていますので、そちらをご覧いただければと思います。
大事なのは、「量をこなすこと自体が悪い」のではないということです。量は圧倒的に力になります。650日連続、約1300曲という数字は、間違いなく僕の財産です。問題になるのは、量を出すことが目的化して、一曲ごとに考える時間がゼロになってしまった時なんですね。そこの線引きを、自分で自覚しておくかどうかの差だと思っています。
Q3. 歌詞から映像が思い浮かばず、抽象的な表現ばかりになってしまいます。どうすれば想像力を鍛えられますか?
A. これには、僕が高校の3年間やっていた方法を強くおすすめします。テレビドラマの映像を切って、音だけで見るというトレーニングです。
我が家はテレビ禁止だったのですが、FMラジオにテレビの音声チューナーがついていたので、僕はドラマを音だけで聞いていました。やってみると分かりますが、最初は本当に何も分かりません。誰が喋っているのか、誰に向かって話しているのか、今どこにいるのか、まったく分からないんです。
でも、だんだん手がかりが見えてきます。会話のやり取りから人物関係を推測する。「誰々くん」と呼びかける声から、登場人物の名前と立場を組み立てる。足音、扉の音、雨音、遠くの車の音といった効果音や環境音から、場所と時間帯と天候を割り出す。こうやって、音声という情報だけから映像を頭の中で再構築するわけです。
これを3年間続けた結果、僕は妄想力が相当に鍛えられたと思っています。そしてこれが今、歌詞から映像を思い浮かべて曲を作る時の原点になっています。
抽象的な歌詞になってしまうというお悩みは、逆から言えば「頭の中に映像が立っていない」ということだと思います。映像が立っていれば、そこにあるものを書けばいいだけなので、自然と具体的になります。テーブルの上に何が置いてあるか、窓の外に何が見えるか、その人は何を手に持っているか。まず映像を作って、それを描写する。この順番にすると、歌詞は一気に具体的になります。
今はスマホでも配信ドラマが見られますから、画面を伏せてイヤホンだけで聞いてみてください。すごく勉強になりますし、言葉をどうやってイメージ化させるかのヒントになるはずです。
Q4. Miliaのようなオリジナルのキャラクター・AIシンガーは、どうやって作ればいいのでしょうか?
A. Miliaの作り方でポイントになったのは、「誰が好きか」ではなく「その人の何に惹かれたのか」を分解したことです。ここが肝心なところだと思っています。
Miliaは3人の女性アーティストからできています。宇徳敬子さん(Mi-Ke)からは、性格と雰囲気 ─ 優しさ、温かさ、包み込むような世界観。坂井泉水さん(ZARD)からは、ビジュアルと透明感 ─ 凛とした美しさ、そして作詞家としての言葉の力。浜田麻里さんからは、楽曲性 ─ ヘヴィメタルやロック、力強さ、情熱、ドラマチックなサウンド。加えて、倉木麻衣さんのビジュアル要素も入っています。
もし僕が「坂井泉水さんが好きだから坂井泉水さん風のAIシンガーを作ろう」としていたら、それはただの模倣で終わっていたと思います。そうではなく、好きだった人たちから「惹かれた成分」だけを抽出して、別々の要素として組み合わせた。だから、どこにもいないキャラクターになったわけです。
そしてもう一つ大事なのが、声から入ったということです。コンセプトを先に作って声を探したのではなく、Personaの機能(現在のVoices)で声を聞いた瞬間に惚れてしまって、その声を多くの人に届けたいと思ったのが出発点でした。そこに、自分の中に30年分蓄積されていた3人分の要素が流れ込んでいった。この順番だったんですね。
なので、おすすめの手順はこうです。まず自分が好きだったアーティストを10人ほど書き出す。次に、それぞれについて「何に惹かれたのか」を、性格・見た目・声・曲調・歌詞・生き方といった軸で分解する。すると、複数の人に共通する成分が見えてきます。それがあなたの「好みの正体」であり、あなたのAIシンガーの設計図になります。
Q5. 自分の人生を振り返って強みを見つけるという話がありましたが、具体的にどうやればいいですか?
A. 用意するものは紙とペンだけです。やることは、幼稚園から今日までを年代ごとに区切って、「その時、どんな音楽が周りにあったか」「誰の影響を受けたか」「自分は何をしていたか」を書き出していく。それだけです。
僕の場合で言えば、こんな具合になりました。小学校=詩集と作文、FENの洋楽。中学=友達がくれたカセット、自作AMラジオ、ランキング予想。高校=エアチェック、音だけのドラマ、BOØWY、尾崎豊「卒業」。大学=レンタルCD全借り、カーオーディオ、グリークラブ、ビーイング系。社会人=営業車での長距離ドライブ、中古CDのジャケ買い、選曲CD「ラ・リ・ル・レ・ロ」。起業後=音楽コンサルタントという肩書き。
こうして並べると、パターンが浮かび上がってきます。僕の場合は7つの動詞でした。「書く」「聞く」「集める」「分析する」「選ぶ」「妄想する(想像する)」「届ける」。この7つが、55年間ずっと形を変えて繰り返されていたんですね。そして今、その全部がAI音楽という一点に集まっている。
大事なのは、一見すると音楽と関係ない経験も書き出すことです。僕の場合、講演業で15年間、毎日2〜3時間喋り続けたことが、結果的に喉と発声を鍛えていました。音楽のためにやったわけでもないのに、音楽のための身体ができていたわけです。ランキング予想も、当時はただの遊びでしたが、今のアナリスト業とマーケティング分析の原点になっています。
そうやって洗い出しをすると、必ずご自身の強みが見えてきます。そしてそこから生まれた曲には、必ず共感してくれる人が現れます。AIは過去を無駄にしません。経験は未来の才能に変わります。ぜひ一度、ご自身の年表を書いてみてください。
SunoPよこたん何故AI音楽に来た?人生55年の答(AI音楽ラジオ)

🎙️ FEN
山口県岩国市の米軍基地から発信されていた、在日米軍向けの英語ラジオ放送局のことです。軍人とその家族に向けてニュースや音楽を流しており、隣接する広島でも受信できました。よこたんさんの家庭ではテレビが禁止されていたため、母親がこのFENでビートルズ特集などを聴いており、その傍らでマイケル・ジャクソン、ボン・ジョヴィ、ビリー・ジョエル、ワムといった洋楽に自然と触れることになりました。流行が「テレビ」ではなく「親が聴くラジオ」から入ってきたという、音楽体験の最初の入口です。
📻 エアチェック
ラジオ放送で流れる曲をチェックし、気に入った曲をカセットテープに録音する行為を指す、1970〜80年代に広まった言葉です。録音ボタンを一時停止状態で待機させ、曲紹介が終わった瞬間に解除して録音を開始します。1番しか流さない番組ではなくフルコーラスを流す番組を選び、曲の終盤にアナウンサーの声がかぶらない放送を狙うといった技術も必要でした。お小遣いをもらえなかった高校時代に、90分テープへヒット曲を溜め込んでいく手段としてこの習慣が始まっています。
🎭 妄想力
映像を見ずに音声だけでテレビドラマを聴き、登場人物や場面を頭の中で組み立てる訓練から育った能力です。FMラジオのテレビ音声チューナーを使ってドラマを聴いていた高校時代の3年間、誰が誰に話しているかも分からない状態で、会話のやり取り、呼びかけられる名前、効果音や環境音を手がかりに情景を再構築していました。これが現在、歌詞という文字情報から映像を思い浮かべて曲を作る作業の原点になっており、視聴者にも試してみることを勧めています。
📊 ランキング予想
中学1年生の頃、友達同士で歌番組のベストテンの1位から10位までを当て合っていたゲームです。予想の精度を上げるため、技術家庭科の授業で自作したAMラジオを使い、有線ランキング、オリコンランキング、ラジオのリクエストランキングなど複数の情報源をメモして独自に総合評価をつけ、順位を割り出していました。音楽を感覚ではなくデータで読み解くこの視点、いわば左脳の部分が、現在のアナリストという仕事やマーケティング分析の原型になっています。
💿 ジャケ買い
アーティストや曲を知らないまま、CDのジャケットの印象だけで購入を決める買い方です。営業職で全国を回っていた社会人時代、訪問先の中古CDショップで「あ」から「わ」まで棚の背表紙を一枚ずつ眺め、知らない名前を見つけては手に取っていました。ジャケットだけでなく、レーベルや裏面のスペシャルサンクスに書かれた名前から系列を推測することもあったといいます。ヒット曲はすでに網羅していたため、売れていない良いアーティストを探す手段であり、現在のSpotifyのおすすめ機能を人力でやっていたようなものだと振り返っています。
🎧 マイベストカラオケ
仙台営業所長時代に、部下や同僚とのコミュニケーションのため、相手の好みに合わせて選曲したオリジナルCDを作ってプレゼントしていた企画シリーズです。ラ・リ・ル・レ・ロで揃えた5種類があり、ラッフィンは笑える面白い曲、リッスンはみんなが好きそうなヒット曲、ルッキンは注目している新しいアーティスト、レッスンはカラオケで一緒に歌える曲、ロッキンはロックという構成でした。10セット以上作り、人から人へ渡って知らない間にガソリンスタンドのBGMとして流れていたこともあります。
💼 音楽コンサルタント
2007年の起業時に、ネットビジネスアナリスト、電脳アイデア泉人と並べて自ら作った肩書きです。音楽コンサルタント協会という公式サイトまで立ち上げ、ミュージシャンがSNSを使って知名度を上げる方法や、企業が音楽を活用してサービスを作る方法など、音楽とビジネスを掛け合わせたコンサルティングを構想していました。しかし仕事はほとんど来ず「趣味なんでしょ」と言われ続けます。当時は花開かなかったこの構想が、20年近く経ってAI時代に現実味を帯びてきたという位置づけです。
🎹 Suno
2024年4月頃に出会った音楽生成AIサービスです。当初はクオリティが低く、編集なしでは使い物にならないという印象でしたが、同年12月にバージョンが3.5から4へ進化し、4〜5分のフルサイズの曲が高品質で生成できるようになった時点で「これは使える」と判断しました。以降、1回の生成で2曲できることから1日2曲の配信を決め、現在は650日ほど連続、累計1300曲ほどを制作しています。総再生回数ランキングでは12位まで到達しました。
👩🎤 Milia
2024年11月29日に誕生した、よこたんさんを代表するAIシンガーです。設計には3人の実在アーティストへの憧れが融合されています。宇徳敬子さんからは優しさや温かさ、包み込むような性格と雰囲気を、坂井泉水さんからはポニーテールのビジュアルと凛とした透明感、そして作詞家としての言葉の力を、浜田麻里さんからはヘヴィメタルやロックという力強くドラマチックな曲調を取り入れました。誰が好きかではなく、その人の何に惹かれたのかを分解したことが設計図になっています。
🧠 ラージメロディモデル
大規模言語モデル(LLM)をもじった造語で、長年の音楽収集によって自分の頭の中に蓄積されたメロディの引き出しを指します。大学1年でアルバイトを始めてから約30年、レンタルCD店のランキング上位をジャンル問わず片っ端から借りて録音し、演歌もアイドルもロックもポップスも聴き続けました。歌詞の蓄積を指すラージランゲージモデルと対になる概念で、鼻歌でメロディを作ってAIに渡せるのはこの蓄積があるからであり、AIには真似できない個人の財産だと位置づけています。
SunoPよこたん何故AI音楽に来た?人生55年の答(AI音楽ラジオ)

AI音楽とは何か──2026年に何が起きているのか
AI音楽の仕組みと「言葉が曲になる」までの流れ
AI音楽とは、テキストで書いた指示や歌詞をもとに、AIが伴奏・メロディ・歌声までを一括で生成する音楽制作の手法を指します。従来の作曲は、楽器の演奏、コード進行の知識、録音機材、ミックス作業という四つの関門を越える必要がありました。AI音楽ではこの工程が「どんな曲にしたいかを言葉で書く」「出てきた候補を聴いて選ぶ」という二つに圧縮されます。Sunoのようなサービスでは、曲のスタイルを説明する文章と歌詞を入力すると、1回の生成で2曲が数十秒から数分で返ってきます。ギターを一度も握ったことがない人が、その日のうちにフルコーラスの楽曲を手にできる。これがAI音楽の最大の変化です。
規模の面でも、この技術はすでに実験段階を抜けています。フランスの音楽配信サービスDeezerの検出データによれば、完全にAIが生成した楽曲のアップロードは2025年1月時点で1日約1万曲、全体の約10%だったものが、2026年4月には1日約7万5000曲・約44%、2026年6月には1日平均約9万曲に達し、ピーク日には新規配信の50%を超えました。市場予測でもAI音楽生成関連は2026年に10億ドル規模へ成長するとされています。
ただし、作られる量と聴かれる量は一致していません。同じDeezerの発表では、AI生成楽曲の再生数は全体のわずか1〜3%にとどまり、しかもその最大85%は不正な自動再生だったと報告されています。つまりAI音楽は「誰でも作れるが、誰も聴いてくれない曲が大量に積み上がっている」段階にあります。裏を返せば、聴いてもらう理由を持った作品だけが浮かび上がる構造ができつつあるということです。AI音楽を始めるときに考えるべきなのは「どう作るか」より先に「なぜ自分が作るのか」だと言えます。
Suno v6で変わった「生成」から「編集」へのシフト
AI音楽の代表格であるSunoは、2026年9月9日に新世代モデル「v6」を公開しました。v6・v6-wild・v6-miniという3モデル構成で、v6は精度重視の標準モデル、v6-wildはより予測しにくい出力を狙うモデル、v6-miniは無料枠でも使える軽量モデルという位置づけです。直前のv5.5が2026年3月26日公開でしたから、約半年ぶりのメジャー更新になります。
v6で本質的に変わったのは音質よりも操作の考え方です。これまでのAI音楽は「プロンプトを投げて、出てきた完成品の中から当たりを引く」というくじ引きに近い作業でした。v6では、歌詞の一節だけを自然言語で書き換えて残りはそのまま保持する、複数の素材を一度のリクエストでマッシュアップする、サンプリングや音の分離を同じ画面で行う、といった編集寄りの機能が前面に出ています。テキストだけでなく音声・画像・動画を参照として渡せるマルチモーダル入力、スタイルタグの効き方を調整するVariety(多様性)スライダー、長尺やボーカルの一貫性に効くMax Modeなども用意されました。
もう一つ見逃せないのが、v6がWarner Music Group、BMG、Believeをパートナーとして開発された点です。2024年に訴訟の被告だった企業が、2026年にはレーベルと組んでモデルを出している。AI音楽が「グレーな遊び」から「権利処理を伴う産業」へ移行しつつあることを示す象徴的な出来事です。作り手にとっての実務的な意味は明快で、これからは出力の良し悪しを運に任せるのではなく、素材を選び、直し、仕上げる力が差になります。楽器が弾けるかどうかではなく、どこを直したいかを言葉にできるかどうかが問われる時代に入りました。
楽器が弾けなくてもAI音楽が作れる理由
「書く・聞く・集める・想像する・届ける」という5つの素材
AI音楽で必要になる能力は、演奏技術でも音楽理論でもありません。新潟を拠点にネットビジネスアナリストとして活動し、AI音楽家「SunoPよこたん」としてSunoで1300曲以上を公開している横田秀珠氏は、自身の55年を振り返って、AI音楽に必要な力を「書く」「聞く」「集める」「想像する」「届ける」の五つに整理しています。歌は得意ではなく、楽器も弾けず、音楽理論も知らない。それでも曲が作れるのは、この五つが長い時間をかけて積み上がっていたからだという説明です。
分解すると、それぞれがAI音楽の工程に対応していることが分かります。「書く」は歌詞とプロンプトそのものです。小学生の頃に詩集を作り、作文を書き続けた経験が、言葉で世界観を立ち上げる作業に直結します。「聞く」と「集める」は引き出しの量です。1980年代から2000年代まで、演歌からアイドル、ロック、ポップスまでジャンルを問わずレンタル店のランキング上位を片っ端から録音し続けた蓄積が、「この曲調で」「この雰囲気で」と指示を出すときの語彙になります。本人はこれを自分の中の「ラージランゲージモデル」「ラージメロディモデル」と呼んでいます。
「想像する」は歌詞から情景を立ち上げる力、「届ける」は誰にどの曲を渡すかという編集の力です。中学時代に有線ランキングやオリコンランキング、ラジオのリクエスト順位をメモして総合評価をつけ、翌週の1位を予想していた習慣は、そのままデータで音楽を読む左脳の訓練になっていました。AI音楽は演奏の代行はしてくれますが、何を作りたいかまでは決めてくれません。自分の人生のどこに五つの素材が眠っているかを棚卸しすることが、実は最初の一歩になります。
音だけで情景を思い浮かべる「妄想力」の鍛え方
AI音楽の出来を決める最大の変数は、歌詞に書かれた情景の解像度です。抽象的な言葉だけで書かれた歌詞は、AIにとっても聴き手にとっても手がかりがなく、どこかで聴いたような平凡な曲になります。逆に、手に取れる物や具体的な場面が書かれていれば、AIはそこに合った音を返しやすくなります。この「言葉から映像を立ち上げる力」は、意外な方法で鍛えられます。
横田氏の場合、それは高校時代のFMラジオでした。家庭のルールでテレビが見られなかったため、テレビ音声チューナー付きのFMラジオでテレビドラマを音だけで聴いていたといいます。映像がないので、誰が誰に向かって喋っているのかも分かりません。会話のやり取り、呼びかけられる名前、足音や環境音といった手がかりだけで、登場人物と場面を頭の中に組み立てる。この訓練を3年間続けたことが、歌詞から映像を思い浮かべて曲を作る現在の原点になっていると振り返っています。
同じことは今日からでも試せます。ドラマや映画の画面を消し、イヤホンで音声だけを聴く。5分もすれば、自分がいかに映像に頼って理解していたかが分かります。もう一つの訓練が、ラジオから流れる曲を録音する「エアチェック」に近い聴き方です。曲をフルで流す番組を探し、イントロの入りから終わりまで神経を集中させて聴く。フェードアウトのタイミングや間奏の長さ、曲の構成が体に入ります。AI音楽でも、サビをどこに置くか、間奏を挟むか、落ちサビを作るかといった構成の判断は作り手が下すため、この感覚が直接効いてきます。演奏ができないことは、AI音楽ではハンデになりません。音を映像に変換する回路があるかどうかのほうが、はるかに重要です。
AI音楽の始め方──最初の1曲を作るまでの手順
無料で試す流れと、プロンプト・歌詞の書き方の基本
AI音楽を始める障壁は、費用面でもほとんど残っていません。Sunoの場合、無料プランでもv6-miniが使えるため、まずはここで出力の癖と操作を確認するのが無駄のない進め方です。作成画面にはSimple ModeとCustom Modeがあり、前者は一文の依頼から歌詞・スタイル・構成・ボーカルまでを自動で組み立て、後者は歌詞、スタイル、タイトル、ボーカル設定、モデル選択などを個別に指定します。最初の1曲はSimple Modeで感触を掴み、2曲目以降はCustom Modeに移るのが現実的です。
スタイル指定の書き方には、知っておくと結果が変わるポイントがあります。v4.5以降のSunoは、スタイル欄をタグの羅列ではなく会話的な文章として解釈するようになりました。「lofi, jazz, female vocal」と単語を並べるより、「ブラシで叩くドラムとレコードのノイズが入った、息づかいの残る女性ボーカルの眠たいローファイ・ジャズ」のように一文で書いたほうが狙いに近づきます。逆に、指定したタグを厳密に守らせたいときはVarietyスライダーを絞るという使い分けになります。
歌詞は、具体的な物と場面で書くのが鉄則です。「悲しい」と書く代わりに、割れたままのマグカップ、玄関に残った片方だけのスニーカー、終電を逃したホームの自販機といった、目に見えるものを置きます。抽象語は聴き手の想像を止めてしまい、AIの音づくりも平板になりがちです。また、細かい数字は歌に乗せにくいため避けたほうが無難です。構成は[verse][chorus][bridge]などのタグで区切って指示でき、ここで曲の骨格を決めます。1回の生成で2曲が出てくるので、まず10曲ほど作って自分がどんな曲を選びがちなのかを知ることが、上達の一番の近道になります。
声を固定する「Voices(旧Persona)」でAIシンガーを育てる
AI音楽を続けていくと、必ず「毎回声が変わってしまう」という壁にぶつかります。曲ごとに歌い手が別人では、作品を並べたときにアーティストとしての輪郭が生まれません。この問題に応えるのがSunoのVoices機能です。もともとは2024年10月31日に「Personas」として登場した機能で、気に入った曲からボーカル・スタイル・雰囲気の「エッセンス」を保存し、次の曲に持ち越せるという仕組みでした。同年11月19日公開のv4でこの機能が強化され、AIシンガーという発想が一気に広まります。
その後、2026年3月26日のv5.5で名称が「Voices」に変わり、機能そのものも拡張されました。最大の追加点は、ユーザー自身の歌声を録音・アップロードして登録できるようになったことです。登録時にはランダムに提示されたフレーズをその場で読み上げる本人確認が求められ、他人の声を勝手にクローンできないよう設計されています。利用にはProまたはPremierプランが必要で、生成1回につき4クレジットを消費します。あわせて、自分の楽曲を6曲以上アップロードして作風そのものを学習させる「Custom Models」も追加されました。
声が固定できると、次に効いてくるのはキャラクター設計です。横田氏が2024年11月29日に生み出したAIシンガー「Milia」は、宇徳敬子の人柄や包み込むような温かさ、坂井泉水の透明感と言葉の力、浜田麻里のロック/ヘヴィメタルという楽曲性、この三つを融合させたコンセプトとして設計されています。重要なのは「誰が好きか」ではなく「その人の何に惹かれたのか」を分解している点です。憧れの要素を分解して再構成する作業は、声質を選ぶだけのVoices設定を、作品世界の設計図へと変えてくれます。
AI音楽の著作権と商用利用で押さえるべき論点
訴訟から提携へ──SunoとUdioをめぐる現在地
AI音楽を仕事や発信に使ううえで、権利関係の整理は避けて通れません。時系列で追うと状況が見えてきます。2024年6月、ユニバーサル ミュージック(UMG)、ソニー・ミュージック、ワーナーの大手3社が、学習データに著作物を無断使用したとしてSunoとUdioを提訴しました。当初の対象は560曲、1曲あたり最大15万ドルの賠償を求める内容でした。
潮目が変わったのは2025年後半です。2025年10月にUMGがUdioと和解・提携し、11月にはワーナーがSuno・Udio双方と相次いで合意しました。いずれもライセンス契約と共同プラットフォーム構想がセットで、対立から協調への転換でした。一方でソニーは両社への訴訟を継続しており、2026年5月21日には、連邦地裁がUdio側のDMCA(技術的保護手段の回避)に関する請求却下の申し立てを一部退け、この論点が引き続き審理されることになりました。欧州では2026年7月31日、ミュンヘン地方裁判所がドイツの著作権管理団体GEMAの訴えに対し、Sunoが独・米の著作権法に違反していると認定しています。
日本国内では、著作権法30条の4(情報解析のための利用)の見直し議論が進んでおり、JASRACなどが改正を求めている状況です。作り手として押さえるべき結論はシンプルで、第一に、実在のアーティスト名や特定の歌手の声を模倣する指示は避けること。第二に、既存曲の歌詞やメロディをそのまま入力しないこと。第三に、規約は頻繁に変わるため、商用利用の条件を定期的に確認することです。2026年にはSunoの所有権規定をめぐる報道と同社の否定というやり取りもありました。ルールが動いている領域だという前提で付き合うのが安全です。
配信・収益化の前に確認しておくべきプラットフォーム側のルール
権利処理と並んで見落とされやすいのが、配信先プラットフォームがAI生成楽曲をどう扱うかという点です。Deezerは2025年1月からAI検出モデルを本番稼働させており、2025年の1年間で1340万曲以上のAI生成トラックを検出・タグ付けしました。タグが付いた楽曲は編集部が作るプレイリストの対象から外れ、アルゴリズムによるレコメンドからも除外されます。さらに2026年7月には、不正な再生に使われたものと6か月以上再生されていないものを削除する方針が示されました。
ここで理解しておきたいのは、プラットフォームが罰しているのはAIそのものではなく不正な再生だという点です。ストリーミングの分配はプロラタ方式、つまり売上総額を総再生回数で割った単価を各再生に掛ける仕組みのため、大量生成とボット再生を組み合わせた収益抜き取りが発生しました。検出と削除は、そこへの対抗策です。まっとうに作って人に聴いてもらう限り、過度に恐れる必要はありません。
実務的なチェックリストとしては、まず自分の契約プランで商用利用が認められているかを確認すること。次に、音源をダウンロードして外部に持ち出せるかを確認すること。2026年9月時点では、Sunoが有料会員に出力のダウンロードを認めている一方、Udioはライセンス版プラットフォームの登場までアプリ内再生に限定しており、同じ時期に和解した2社で対応が分かれています。さらに、配信ディストリビューターや各ストアがAI生成の表示をどう求めているか、カラオケ配信やBGM利用など二次利用の可否はどうかも確認が必要です。作る前ではなく、届ける前に一度立ち止まる。この習慣が長く続けるための保険になります。
AI音楽を続けて届ける──40代・50代からの再挑戦
1日2曲を650日続ける仕組みと、感性を枯渇させない工夫
AI音楽は始めるのが簡単な分、続けるのが難しい領域です。横田氏は2024年12月から「1日2曲」を自らのルールとし、2026年9月時点で約650日連続、累計1300曲前後を公開しています。ルールの立て方が巧みで、Sunoが1回の生成で2曲返す仕様をそのまま日課に変換しています。実際には毎日それ以上の曲を作り、その中から2曲に絞って公開する。作る量と出す量を分けることで、質の判断が毎日発生する構造になっています。
一方で、量産には固有のリスクもあります。本人が繰り返し語っているのが、小学4年生のときの体験です。担任が作文を書かせる先生で、提出した紙を綴じていく厚さが子どもたちの競争になった。負けず嫌いが働いて1日2枚、3枚と増やし、最後は1日200枚、300枚と書くまでになり、「これが200枚目の作文です」というような内容のないものまで量産した。結果として、思ったことを頭の中で寝かせずすべて字にしてしまう癖がつき、感性が枯渇したと両親に言われたといいます。この経験があるからこそ、現在は毎日2曲を作りながら、感性を枯らさないための対策を意識的に取っていると語っています。
続けるための現実的な工夫は三つに整理できます。第一に、テーマの引き出しを日常から拾うこと。記念日、季節の食べ物、身近な人との出来事など、外側にネタ元を置けば内側だけを掘り続けずに済みます。第二に、締切とフォーマットを固定して、迷う時間を減らすこと。第三に、インプットを止めないこと。作る時間と同じだけ、他人の音楽を聴く時間を確保する。AI音楽は出力が速いぶん、インプットが枯れると劣化も速く現れます。
聴かれない時期をどう抜けるか、そして人に贈るという届け方
AI音楽を始めた人のほとんどが最初にぶつかるのが「誰も聴いてくれない」という現実です。ここでも横田氏の経過は参考になります。2024年12月にMiliaでの投稿を始めた当初、活動の場はmixi2の音楽生成AIコミュニティが中心で、再生回数は1曲あたり5回や10回という水準でした。2025年7月1日からYouTubeへの配信も始めましたが、状況は大きく変わらず、再生数は10回から20回台にとどまる時期が続きます。つまり、開始から半年以上は数字がほとんど動かなかったということです。
転機は2026年2月、「AI音楽ラジオ」の配信開始と、ともみん@JAPAN(甲斐智美)氏との出会いでした。曲の作り方、詞の書き方、テーマや世界観の立て方、楽曲への取り組み方を学び、自分の制作に反映させていったといいます。この時期に名義を「SunoPよこたん」へ変更。当時20〜30人規模だったSunoのフォロワーは、半年ほどで1800人まで伸びました。技術の問題ではなく、学ぶ相手と発信の場を得たことが数字を動かしたという点が重要です。
そしてもう一つ、届け方の発想があります。横田氏は社会人時代、同僚の好みに合わせて選曲したオリジナルCDを作って配っていました。「ラッフィン(笑える曲)」「リッスン(ヒット曲)」「ルッキン(注目の新人)」「レッスン(カラオケで歌える曲)」「ロッキン(ロック)」というラリルレロの5企画で、10セット以上を配ったといいます。それが人づてに渡り、あるガソリンスタンドで自分の選曲がBGMとして流れていたのを知った。作れなくても、選んで届けることはできた。AI音楽はここに「自分で作って、その人に贈る」という選択肢を加えました。音楽を諦めた40代・50代にとって、これは技術の話ではなく、置き忘れた企画を再開する話です。過去の経験は無駄にならず、素材として使える形に変わります。
ファクトチェック・補足表
| 配信内の記述 | 検証結果 | 補足 |
|---|---|---|
| 高校1年のクリスマスイブにBOØWYの解散があった | 正確(ただし用語の整理が必要) | 1987年12月24日に渋谷公会堂で「解散宣言」。最後のライブ『LAST GIGS』は1988年4月4・5日の東京ドーム2days。チケット10万枚は10分で完売し、文京区の電話回線がパンクした |
| 人生初のライブは氷室京介の「引退ラストライブ」 | 要修正 | 2016年の4大ドームツアー『KYOSUKE HIMURO LAST GIGS』は引退ではなく「ライブ活動無期限休止」。最終公演は2016年5月23日の東京ドーム |
| 初めて自分で買ったCDは氷室京介「CRIME OF LOVE」 | 補足 | 「CRIME OF LOVE」は1991年4月6日発売のアルバム『Higher self』収録曲。ソロデビューシングルは1988年7月21日の「ANGEL」 |
| 浜田麻里が最近40周年のベストアルバムを出した | 補足 | デビュー40周年は2023年。同年『Soar』をリリースし、記念企画として映像作品のBlu-ray化などが行われた。「Return to Myself 〜しない、しない、ナツ。」は1989年4月19日発売 |
| FIELD OF VIEWが30年ぶりに世界中でヒット | 未確認 | 世界的ヒットを裏づける公的データは確認できず。2026年3月に「DAN DAN 心魅かれてく」の30th Ver.を新録リリースし、2026年11月に東京で公演予定。海外での知名度は『ドラゴンボールGT』経由とみられる |
| SunoのPersona機能が今はVoicesという名前 | 正確(経緯の補足あり) | Personasは2024年10月31日公開、2024年11月19日のv4で強化。2026年3月26日のv5.5でVoicesに名称変更され、自分の歌声の登録機能が追加された |
| Suno 3.5→4への進化でフル尺・高品質生成が可能に | 正確 | v4は2024年11月19日公開。音質向上、歌詞精度、Remaster、Cover、Personasの強化を含む |
| 2026年から著作権でMiliaの声が使えなくなるという噂 | 現時点では否定的 | 2025年10月にUMG×Udio、11月にWMG×Suno/Udioが和解・提携。Suno v6はWarner・BMG・Believeと共同開発。ただしソニーの訴訟は継続中で、2026年7月31日にはGEMA訴訟でSuno側敗訴の判断 |
| ADDZESTはクラリオンの高級カーオーディオブランド | 正確 | クラリオンが国内展開していたブランド名 |
| 650日連続・1300曲・フォロワー1800人・総再生ランキング12位 | 自己申告 | 本人の配信内発言に基づく数値。第三者による検証は行っていない |
参照ソース一覧
| 内容 | 出典 |
|---|---|
| Suno v6(v6 / v6-wild / v6-mini)2026年9月9日公開、編集機能中心のアップデート | Suno公式Release Notes/AICU note記事/各技術系メディア |
| Suno v5.5(2026年3月26日)、Voices・Custom Models・My Taste | Suno公式ブログ「Suno v5.5: More Expressive. More You.」/ビジネス+IT/GameBusiness.jp |
| Personas公開(2024年10月31日)、v4公開(2024年11月19日) | Suno公式ブログ「Introducing Personas」「Introducing v4」 |
| 大手3社による提訴(2024年6月)、UMG×Udio和解(2025年10月)、WMG×Suno/Udio和解(2025年11月) | Real Sound/Music Business関連報道 |
| ソニーの訴訟継続、2026年5月21日のDMCA関連判断 | 財経新聞 |
| GEMA対Suno ミュンヘン地裁判決(2026年7月31日) | RED IGUANA STUDIO/AIフレンズ |
| Deezer:AI生成楽曲のアップロード比率、再生比率1〜3%、不正再生85%、削除方針 | Deezer Newsroom/Music Ally Japan/GIGAZINE/Innovatopia |
| BOØWY解散宣言(1987年12月24日)とLAST GIGS(1988年4月4・5日) | オリコンニュース/Real Sound |
| 氷室京介 LAST GIGS(2016年4〜5月、最終公演5月23日東京ドーム) | Billboard JAPAN/デイリースポーツ/映画.com |
| 浜田麻里 デビュー40周年、「Return to Myself」1989年 | Real Sound 40周年インタビュー/オリコン/タワーレコード |
| FIELD OF VIEW「DAN DAN 心魅かれてく」30th Ver.(2026年3月) | pixiv百科事典/ローソンチケット公演情報 |
| 本編の体験談・制作方針・数値 | AI音楽ラジオ配信「AI音楽は突然じゃない。SunoPよこたん、55年の積み重ね」 |
SunoPよこたん何故AI音楽に来た?人生55年の答(AI音楽ラジオ)











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